「私を怒らせたことに対する怒り」という病

UnsplashYogendra Singhが撮影した写真

メタ的な怒り

街中で怒っている人を見ると「すげえな」と思う。

この「すげえな」はその怒る体力と気力に向けられたもの、そして呆れである。

もちろん僕は通りがかりで見ているだけなので、実際にはその中にも妥当な怒りそうでない怒りが含まれているのだろう。

でも、大半は「しょうもない怒り」のように見える。

もっと丁寧に言うと、「私を怒らせたことに対する怒り」のように見える。

この「メタ的な怒り」こそが現代日本の病なのだ。

今日はそんな話をしていく。

怒りは宛先が大事

マネジメントを語る上で、「怒り」「叱り」というのは避けて通れない話題である。

曰く、「怒る」のはだめだけれど、「叱る」のは良い、というような(僕も以前そんなことを書いたような気もする…)。

でも最近は、その怒りが「誰宛て」であるかが重要なのではないか、と思うのである。

自分が怒っていることを相手に理解させたい

「誰宛て」というのは、感情の向く方向のことである。

そして、相手のことを思って怒っているように見せかけながら、実は自分の感情を鎮める為に怒っている(感情の宛先が自分)、ということが結構な確率で起きているような気がするのだ。

もっと言うと、「その怒っている自分を知らしめたい」「怒っているという事実を相手にも理解させたい」という更に一次元捻じれた構造になっているような気がするのである。

自分の機嫌は自分で取るしかない

これに対して僕が思うのは、「知らんがな」ということである。

僕が興味があるのは、「その後」の話、要は「解決する為にはどうすべきか?」であって、相手が怒っているとか、自分が怒っているとかというのはその人の内部でコントロールすべき範疇のものであると思うのである。

乱暴な言い方にはなるけれど、「相手の怒りに思いを馳せる」というこの1ターンが無駄である、と思うのだ。

幼児ならまだしも、大の大人が「私が怒っていることの表明」に対して「よしよし」してあげる必要性なんてあるのだろうか、と思うのである。

自分の機嫌は自分で取るしかない、仮にそれが怒りという感情であっても。

僕はそんな風に思うのである。

マネージャーがこのタイプだとだいぶ面倒くさい

これはマネジメントにおいても同様である。

マネージャーにも「私を怒らせたことに対する怒り」をまき散らす人が一定数いる。

例えば部下がミスをしたとする。

でもこのタイプのマネージャーは、そのミスに対して怒るのではなく、そのミスがマネージャーの心証を害したことに怒るのである。

この入れ子構造がわかるだろうか?

通りすがりに見ると、同じような怒りに見えるかもしれない。

でも、この2つの怒りは大きく異なるのだ。

「マネジメント本」風に言うなら、前者は叱り、後者は怒り、となるのかもしれない。

ただそれだと分からない人も多いような気がするので、ここからは後者を「メタ的怒り」と名付けて話を進めていく。

何よりも優先されるべきは私の気持ち?

冒頭にも書いたように、「メタ的怒り」は現代日本における病の兆候であると僕は思っている。

何よりも優先されるべきなのは「私の気持ち」であって、それを害するなんてとんでもない、というメッセージが世の中に溢れているような気がする。

これはある種「個性の尊重」の結果と言えるのかもしれない。

「私らしくいる」というのは、「同調圧力」など、社会に抑圧されてきた日本社会の反動の表現である、というのも理解できなくはない。

ただ、あまりにも幼稚なのだ。

気持ちを理解できない(推し量れない)ことへの怒りは日本的なのでは?

これは「怒り」だけではない。

他の感情、「喜び」「悲しみ」「恐れ」「嫌悪」「驚き」など、「私の気持ち」を理解して欲しい、という表現形態はたくさんある。

そして、それは日本に限った話ではない。

SNSを中心に、自己を開示すること、それに共感を求めること、というのは世界的な潮流とも言える。

でも、僕が日本的だと思うのは、「私の気持ちを理解できないなんてけしからん」というところにまで踏み込むところである。

相手の気持ちまで求めるのが当然だと思う人には出会いたくない

感情の表明まではいい(自分の領域だから)。

そこから先は相手の領域である。

相手がどう思うかは、相手が決めることである。

それをこちらから求めるのは、求めるのが当然だと思うのは、僕からすると未熟としか言いようがない。

でも、こういう人達はたくさんいる。

そしてそういう人に出会う度、何というか、「生命力を奪われる」ような気持ちになるのである。

抱きしめて頭を撫でる

では、「私を怒らせたことに対する怒り」に出会った時にはどうすればいいのだろうか?

部下でも、同僚でも、上司でも、この種の人はたくさんいる。

取り敢えずの有効策は「抱きしめて頭を撫でてあげる」ということだと思う。

もちろんこれは比喩表現で、実際に抱きしめて頭を撫でてあげる訳ではない。

母のように、保護者のように、その人の気持ちに共感してあげるのである。

真に共感する必要はない。

そのポーズをしておけばOKである。

子供の面倒を見るのはマネージャーの仕事ではない

そして本質的な対応策としては、「遠ざける」ということだと思う。

自分の感情を自分で処理できない人とは、距離を置いた方がいい。

それによって「冷たい人」という評価を受けることになるとは思うけれど、僕はそれでいいと思っている。

子供の面倒を見るのはマネージャーの仕事ではないのだ。

それをきちんと理解しておけば、マネジメントに対するストレスはぐっと減るはずである。

それではまた。

いい仕事をしましょう。


あとがき

コロナの影響か、不景気の影響か、イライラする人に出会うことが増えているような気がします。

それが真っ当な怒りならいいのですが、何かにつけて文句を言う人も一定数います。

そういう人を見るたびに、とても残念な気持ちになります。

「私を怒らせたことに対する怒り」という捻じれた感情が、「お客様は神様」という迷言と組み合わさるともう最悪です。

それを矯正することは不可能ですが、せめてああはならないよう生きていきましょう