お前の代わりなんていくらでもいる?
誰でもできる仕事ばかりの状態は望ましいのか?
組織論的なことを考えると、属人性を帯びた仕事は確かに望ましくないと思う時がある。
これは本来的にはやることがない(なくなった)人が、「私がいなきゃダメ!」と仕事を抱えた時に起きる現象だ。
マネージャーとしては、このようなタコツボ化は防がなければならない。
ここまでが一般論である。
さて、では質問です。
すべての仕事が誰でもできるような状態というのは望ましいのだろうか?
もう少し卑近な言い方をすると、「お前の代わりなんていくらでもいる状態ってそもそもヤバいんじゃね?」ということになる。
僕の結論はNo(望ましくない)だ(「ヤバいんじゃね?」の問いにはYes(ヤバい)だ)。
今日はそんなことを書いていく。
エンドレス・エンドレス
『「お前の代わりなんていくらでもいる!」ってお前もな!』って言ってるオレもな!
それが属人性を全て排した会社の成れの果てである。
僕はそんなことを思う。
これはエンドレスに続いていく。
官僚制というのは会社形態の究極的な姿であるから。
僕たちは(究極的には)いらない
それは冒頭に書いたように、管理者としては望ましいものではある。
特にコロナウイルスによって、出勤人数の状況がその当日になるまでわからないような局面においては、できるだけ誰でも他の人の仕事ができるような状況にしておくに越したことはない。
でも、それを突き詰めていくと、僕たちはいらなくなる。
言っている本人すら、誰かの代えになってしまう。
それが無限に続いていく。
最終的にはロボット(AI)でいいよね、そういう判断になる。
マックス・ウェーバーやジョージ・リッツァを持ち出すまでもなく、全ての会社がマクドナルド化していくのは流石にヤバい、僕はそう思う。
テンプレで成り立つ仕事。
それならそこに人間はいらないよな。
部下は駒。
マネジメントという仕事をしていると、部下は駒である、と考えてしまう瞬間がある。
そしてそれは必ずしも間違ってはいないし、悪いことでもないと僕は思っている。
部下を上手に使うことで、成果を上げる。
その為には、(時に)部下に駒になってもらう必要がある。
これはある種真実であると思う。
でも、それが同じような顔をしている必要はないんじゃないか、とは思うのだ。
右向け!右!
多くの旧世代のマネージャー達は、同じ指示に対して同じように部下が動くことを求めているように僕には見える。
「右を向け!」と言ったら、全員に右を向いて欲しい。
それはおかしなことではない。
でも、10人いたら、1人・2人くらいは向かない奴がいてもいい。
僕のマネジメントはそんな感じなのである。
ここにちょっとした違いがあるような気がしている。
全員が全員右を向くチームはやっぱり異常である、僕はそんな風に思うのだ。
思考停止と金太郎飴
もちろん、部下が納得して(腹落ちして)右を向いているなら、何の問題もない。
でも、何というか、有無を言わせず、強制的に右を向かせているマネージャーが多すぎるような気がしているのだ。
そしてこういう人達は、「危機」の時に動きが止まってしまう傾向がある。
上司に指示を仰ぐことは、組織人としては間違っていないけれど、そこに自分の考えがないなら思考停止と同義である。
でも、多くの会社ではこのような人達を育成しようとしているような気がする。
反論してきたり、疑問をぶつけてきたりする部下は面倒くさいから。
それだったら皆同じ顔をして、同じ思考経路を辿って、テンプレ的に行動して欲しい。
それが官僚化というものなのだろう。
モブ化した社会。モブ化した街。
効率化を究極まで推し進めることで成果が上がるという思想は、僕からすればナンセンスだ。
確かに世界中どこでも同じような味で、同じような価格でビックマックが食べられるのはとても素晴らしいことではある。
でも、それってディストピアでは?
資本主義を極限まで突き詰めていくと、そこに人間はいらなくなる。
自分の代わりはいくらでもいる社会が到来する。
僕たちはどんどんモブ化していく。
人間も街も同じようになっていく。
同じようなショッピングモールと、そこに入っている同じようなテナントによって、僕たちの街は同じものになっていく。
その中で、些細な違いを無理やり見つけて、仲違いしている。
それが僕たちの社会だ。
変な菌持っているから
僕の代わりはいくらでもいる。
それは事実だ。
でも、僕が去った後のチームは大抵ガタガタになる。
それは僕が秘伝のレシピを持っているからである。
いや、もっと正確に言うなら、僕の手の平の常在菌が特殊だから、同じレシピを使っても僕にしかできない味が出せるのである。
その違いはたぶん多くの人にはわからない。
でも、それこそがその人がその仕事をする意味なのである。
モウリーニョ化を
プロスポーツでは、監督が代わると、チームが劇的に良くなるということが起こる。
それは皆知っているはずである。
だから、プロ監督に対して、お前の代わりなんていくらでもいるとは思わない(まさにスペシャル・ワンの話だ)。
確かにプロ監督はそれだけの能力があるのかもしれない。
いや、能力というと全てが包含されてしまうので、もう少し狭い範囲の「影響力」みたいなものがその人がそこにいる意味なのではないか、と僕は思っている。
体臭の違いみたいな、代わりなんていくらでもいるけど、いないような感じ。
それを僕は探して、今日もこんなヘンテコなブログを書いている。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
もう今はあまり言われなくなりましたが、「不要不急」という言葉がコロナ以降僕の頭にずっとこびりついています。
僕たちの仕事はブルシット・ジョブである。
僕たちはモブである。
それは揺るぎない真実です。
でも、それがどうした?
僕は僕にしか出せない味を出し続けるつもりです。
それが例え自己満足に過ぎないとしても。
街の外れの寂れた中華料理店(化学調味料多め)。
引き続きご愛顧頂けたら幸いです。