職場に仲の良さは必要なのだろうか?

UnsplashPriscilla Du Preezが撮影した写真

「仲が良い職場」って実現可能なのか?

業績が悪くなってくると、「ウチの職場にはコミュニケーションが足りないからだ!」と言いだす輩が出てくることがある。

それに乗っかる人もいる。

その度に「そうか?」と僕は思う。

言葉を正確に言うなら、「確かにコミュニケーションは大事だけれど、あなたが言っているコミュニケーションというのは『仲の良さ』のことですよね? それって本当に要りますか?」と思うのである。

もちろん仲が良いことに越したことはない。

誰だってギスギスした職場で働きたいとは思わない。

でも、それって実現可能なのだろうか?

それはただの妄言ではないのだろうか?

今日はそんなことを書いていこうと思う。

職場は仕事をする場所。そうだろう?

前提として、僕は「職場は仕事をする場所」であると考えている。

遊びに来ている訳ではない。

そしてそこにいる人達は、多種多様な背景を持った人達である。

キャリアも趣味嗜好も学歴も出自も価値観も、何もかも異なる。

そんな人達と仲良くするなんてできるのだろうか?

確かに僕には友達が少ない

僕は不可能だと思う。

確かに僕の交友関係は狭い。

極狭である。

だから仲良くできる範囲に入る人が少ない、端的に言えば「陰キャ」だからそんなの不可能だと言っているのだろう? と思う人もいるかもしれない。

その節がないとは言えない。

でもさ、本当に?

仲の良さ信仰

表現が適切かどうかわからないけれど、ここには「仲の良さ信仰」みたいなものがあるような気がしている。

芸人のコンビ同士には仲良くあって欲しいとか、アイドルグループ内で仲良くあって欲しいとか、そんな仲の良さ信仰が最近のトレンドであるような気がしている。

確かに仲が良い方がいい。

でも、それよりも優先されるべきなのは、仕事をきちんとすることなのではないのだろうか?

仲の良さ<仕事の精度

僕は芸人同士が仲が悪くても、アイドルグループ内で揉め事があっても、「そりゃそうだろうな」と思う。

仕事だから。

プロとして仕事をする以上、軋轢が生じるのはやむを得ないと思う。

もちろん、一線はある。

超えてはいけないラインはあると思う。

でも、優先順位はプロとしての仕事をする方が上だ。

仲が良くても、プロとしての仕事ができていないのであれば何の意味もない

これを履き違えているヤツが多すぎるのだ。

仲って自然と良くなるものでは?

上手く言えないのだけれど、仕事を仕事としてきちんと捉えている人はその辺の境界線をとてもよく分かっている気がする。

兎角日本では「和を以て貴しとなす」みたいな考え方が幅を利かせているけれど、その度に「それは強制されるものではないのではないか?」と思う。

仲は自然と良くなるものだ。

誰かに言われるものではない。

そうか、だから僕は友達が少ないのか。

いや、それでいい。

そんな友達は僕にはいらないのだ。

多様性の尊重? 笑っちゃうね

表面上の付き合い、そこから外れる人への糾弾、多様性の尊重とは程遠い日本。

僕はずっとそういうものを毛嫌いしたまま大人になった。

そして大人になってとても楽になった。

付き合いたい人だけと付き合うことができるようになったから。

そういう意味では、今回このようなテーマで書いているものの、そんなのだって大したことではないのかもしれない。

でも、強制(矯正?)はされたくないのだ。

中高生よ。生き残れ。大人は楽しいぜ?

こんなブログを中高生が読んでいるとは思わないけれど、学生時代の狭い人間関係の中で悩んでいる人が少しでも気が楽になるなら、こんなに嬉しいことはない。

僕みたいな奴だって生き残っているぜ?

もちろん生きづらさは変わらないけれど、そこから身を守ったり、逃げる術を覚えれば、ある程度自由に生きることができるのが大人の良い所である。

僕は大人になって本当に良かったと思う。

子供たちは放っておこう

もちろん、社会にはたくさんの「子供たち」がいる。

彼(彼女)らは学生時代と同じように徒党を組みたがり、そこから外れた人達を排除しようとする。

下らない「内輪ウケ」を永遠に繰り返して、ゲラゲラ笑っている。

そんな奴は置いていこう。

あなたの内なる世界に共感する人はきっといる。

ネットの中だけでなく、現実世界に存在している。

だから何とか生き延びてくれ。

尖れ! 尖れ!

もちろん社会人だって、人間関係に悩んでいる人は多いと思う。

表面的には上手に振舞っていたって、心の奥では溜息をついている人は山ほどいるのだろうとも思う。

そういう人達だって、もっと自由にやっていいのでは?

変なマネージャーの言うことなんて聞かなくていい。

そんな奴はマネジメントの「マの字」すら知らないのだ。

それよりも腕を磨いておこう。

仲良くなんてする必要はないのだ。

牙を砥ごう。

尖ろう。

人に嫌われよう。

そういうものを背負った人しかわからないものがある。

大人たちでしか実現できないチームがある。

僕たちはきっと勝手に仲良くなる

僕は歓迎する。

あなたの変な部分を面白がれる自信がある。

僕には腕があるから。

牙があるから。

そういう人達が日本の中に増えたらいい。

冗談みたいだろう?

おじさんにもなって、まだこんな青臭いこと言っているのだ。

でも、僕は結構本気で思っている。

僕たちは自分勝手に振舞って、きっと勝手に仲良くなるだろう。

それでいい仕事をすればいいのだ。

それで十分じゃないか?

それではまた。

いい仕事をしましょう。


あとがき

最近「腕」ということを考えています。

余計なものを全て取っ払った先に残るもの。

それは「腕」です。

僕には磨き上げた右腕がある。

その自信があるから、異質なものを許容できる。

誰かに強制されなくても、僕たちは勝手に共鳴し合うでしょう。

その時にまたお会いしましょう(楽しい酒になりそうだ!)。