部下をナメるな
意識下で部下をナメていないか?
今日の話はタイトルの通りで、部下をナメていると痛め目を見る、だからナメてはいけない、そんなことを書いていく。
というのも、世の中の多くのマネージャーは部下をナメており、というか、ナメていることにすら気づいていない状態にある、と思ったからである。
いやいや、私は部下をナメてなんかいません。
そう仰る方もいるかもしれない。
うーん、どうだろうか。
言葉ではそうかもしれないけれど、言外でそのように振舞ってはいないだろうか?
もしチームの雰囲気があまり良くないのであれば、マネージャーが部下をナメていることが原因かもしれない、そんなことを頭の片隅に置きながら話を聞いて頂けたらと思う。
それでは始めていこう。
「マネージャーは偉い」という呪縛
マネージャーは偉い。
そのようなことを無意識的に考えている人は多い。
というか、殆ど全員がそう考えている。
僕はそんな風に思っている。
この概念の呪縛は思ったよりも強くて、このように書いている僕ですら時折その考え方に囚われている場合があるくらいである。
重要なのは、無意識的に、という部分だ。
その傲慢さ、バレてるぜ?
もちろん、本心からそのように思っている人もいる。
これは僕からすれば論外なのだけれど、もしかしたらこちらの方が大勢かもしれない。
「オレはマネージャーだ。お前は部下だ。だからオレの言うことを聞け」
流石にあからさまに言うことはなくても、大なり小なりこのように考えているマネージャーが殆どである。
でも本当にそうなのだろうか?
というか、その無意識、バレていますよ?
体得すること
僕はマネージャーはただの役割に過ぎない、そう言い続けてきた。
それはある種の自戒を込めたものでもある。
組織にいると、自然と「マネージャーは偉いんだぜ」みたいな意識になりかけるから、本当に気をつけなければならない。
自らを律すること。
そうすれば、だんだんと自然にそのように思えるようになる。
体得させることが重要なのだ。
心身共に、無意識の領域ですら、そのように思えるようになること。
これがマネージャーとして成長する必要条件である。
僕は部下の人を見る目を信頼している
でも、無意識の領域なら部下にバレないのでは?
いや、そうではないのだ。
確実にバレる。
それくらい部下はきちんと人を見ている。
短期間では違うかもしれないけれど、ある一定期間以上一緒に仕事をしていくなら、確実にそのような姿勢や態度というのはバレる。
もうこれは間違いない。
そういう意味では、僕は部下を信頼している。
部下の人を見る目を信頼している。
確実に見抜かれている
ただ、一方で、部下も我が身が可愛いので、あからさまにこれを表現することはない。
例えば変なマネージャーがいるとして、「あの人は変だ」と言う部下は少ない(もちろんいることはいる)。
だから、職場においては、部下は気づいていないように見える。
それは他者に対してだけでなく、自分(マネージャーであるあなた)に対してもそうである。
自分は大丈夫、そう思いたくなる。
でも、そんなことはない。
露見されないだけで、確実に見抜かれているのである。
真面目に仕事が馬鹿らしくなる時がある。でも…
時々、真面目に品行方正に仕事をしていることが馬鹿らしくなることがある。
他のマネージャーはもっと自由気ままに仕事をしているのに、なぜオレはこんなにも色々なことを考え、気を遣わなければならないのか、そう思うことがある。
僕だって煩悩を抱えた人間である。
でも、その度にこのことを思い出すようにしている。
いや、それは僕だけが気づいているのではなく、みんなわかっているのだ、と。
ただ、それを正面切って表現するのが困難なだけなのだ、と。
何も変わりはしないけど
これは何年もマネージャーをやって気づいたことだけれど、僕が気づくようなことは部下も気づいているのである。
そして、それはふとした時に教えてもらえる。
だからと言って、何かが変わるわけではない。
相変わらずその人(おかしなマネージャー)はそのような仕事のやり方を続けるし、上司である人はそれに気づくことはない。
現状維持。
でも、確実に力にはなるのだ。
まともに仕事をしている無力感を軽減してくれるのだ。
部下だけは見ていてくれる
世の中はフェアではない。
様々な理不尽がある。
特に会社という組織に属していると、そんなことが頻発する。
その度に自分がまともに仕事をしていることが馬鹿らしくなる。
でも、そこで腐ってはいけない。
部下だけは見ていてくれる。
あなたが真摯に仕事に取り組んでいることは、必ず理解してもらえる。
昇進には弊害にすらなるかもしれないけれど
もちろんそれが会社の評価に繋がるかと言えばそんなことはないかもしれない。
部下に評価されたからと言って、昇進できるほど公平にはできてはいない。
むしろそのようなある種の青臭さは、弊害にすらなるくらいである(ウチの会社だけか?)。
「でも、それでいいのではないか?」というのが僕の現在位置である。
僕たちの生き方の累計が「このザマ」である
日本の凋落、企業の凋落は、僕たちの生き方の累計である。
その合計値が現在の停滞だ。
それをポジティブに受け止められるなら、今の働き方を続ければいい。
それで内輪だけで盛り上がっていればいい。
僕はそれは嫌なのだ。
現在の日本の「この感じ」が嫌なのである。
僕は今日も上司に嫌味を言われながら、部下と共に「まともな」仕事をする。
あなたも同じようにどこかでゲリラ戦を続けて欲しい。
共に生き延びましょう。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
「成功者」の話を聞く度に、「この凋落した日本の現状を無視して、それが成功だと言うなら、オレはそんな成功なんていらないぜ」という中2みたいなことをいつも思います。
僕は旧世代の成功に全く興味がありません。
それよりも「まともな」仕事がしたい。
そういう変人が増えることで、日本の現状は(少しなら)変えられるような気がしています。
嫌われながら、煽られながら、それでもイキって(生き残って)いきましょう。