ゼネラリストとスペシャリスト
ゼネラリスト的なアプローチによるスペシャリティ
「ゼネラリストは時代遅れだ」
ジョブ型志向が強まる現代において、この種の言葉は「常識」のように捉えられているような気がする。
でも、この「ゼネラリスト」という言葉の中身については、もう少し吟味をした方がいいと僕は思っている。
旧来の意味でのゼネラリストという言葉は、どちらかというと「器用貧乏」みたいな意味合いを持っているように僕には感じられる。
あらゆるところに顔を出すけれど、どれも中途半端で役に立たない、というか。
専門性を持っていない、というか。
そして、カウンターサイドにスペシャリストがいる。
一芸に秀でている、というか、スペシャリティを持った専門人材。
「ジョブ型の時代においては、皆スペシャリストを目指すべきだ」という言説。
否定はしない。
でも、ちょっと安易なのではないか?
というか、スペシャリストへの道には、ゼネラリスト的なアプローチがあってもいい(あって然るべき)なのではないか、と僕は思っている。
意味が分からないかもしれないけれど、取り敢えず始めていく。
反面教師
マネージャーとして、部下(特に若手)とキャリアの話をする機会がある。
その度に、スペシャリティ志向の高まりを感じる。
もう普遍的になった、というくらいに。
ある種脳死状態で、特に考えもせず(反射的に)、「ゼネラリストはダメ。スペシャリストにならなければ」とみんながみんな思っているような感じなのだ。
まあ、確かにそうなのかもしれない。
上を見れば、ゼネラルな「働かないおじさん」が働かないままそこかしこに居座っているから。
ああはなるまい。
それが多くの部下たちの実感なのだろう。
スペシャリストって具体的にはどういう人?
でも、僕が最近思うのは、「スペシャリストの定義って何なのか?」ということである。
定義、という言葉が固ければ、「どういう人になったらスペシャリストだと思うのか?」ということをもう少し深掘りしてみてもいいのではないか、ということになるのかもしれない。
要は、「皆さんが考えるスペシャリストってどんな人で、どのようなルートを進めばそうなれるのですか?」ということをもう少し考えた方が良いような気がするのである。
何となく、漠然と、専門人材になりたい。
その気持ちは否定しない。
でも、専門人材ってどのような人を指すのか?
例えば、現状の社内のどのポジションにいるのか?
そこでどのような仕事をしているのか?
そして、仮にそのような人がいるとして(そうなりたいとして)、似たような仕事をする為にはどのような準備が必要なのか?
それをもう少し踏み込んで考えた方が良いような気がしている。
というのも、(残酷なことを言うと)「サラリーマンのスペシャリティなんてたかが知れている」と僕は思っているからである。
スペシャルじゃないスペシャリストたち
僕はたくさんの(自称)スペシャリスト達と仕事をしてきた。
その度に思うのは、「大したことないな」ということである。
というか、それをもし専門性と呼んでいいなら、大抵の人はスペシャリストというカテゴリーに含まれてしまうのではないか、またその程度の専門性なら早晩陳腐化してしまうのではないか、そんなことを(偉そうに)思ってしまうのである。
そしてその当人たちもその状況には薄々気づいているようにも見える。
もちろんご本人たちにインタビューした訳ではないので、本心のほどはわからないけれど、彼(彼女)らも内心ではそう思っているのではないか?
そんなことを思ってしまうのだ。
1ミリも1センチも誤差の範囲
これは「深さ」の議論で例えると分かり易いと思う。
多くの人たちが考える専門性というのは、ある分野を深く掘っていく作業であるように僕には感じられる。
同業のライバルがたくさんいるとして、その人達よりも1ミリでも深く掘っていくことでその専門性をアピールしていく行為、というか。
でも、僕のような門外漢からすると、彼(彼女)らが必死になっているその1ミリの差なんて、大した違いであるようには感じられないのだ。
もっと言えば、1センチだって誤差みたいなものなのだ。
そこで僕が考える意味での専門性を身に付けたいなら、よほどの才能がなければ不可能なのである。
厳しい言い方を許容して頂けるなら、サラリーマンを選んだ人くらいの才能程度では、スペシャリティなんて大差がない、そういうことを考えてしまうのだ。
深さ×幅
でも、だからと言って専門人材になることを諦めてはいけない。
というか、その方向に意識を向けること自体は賛成なのだ。
ただアプローチ方法がちょっと違うというか。
先ほどの「深さ」の議論を援用するなら、「幅」も同時に意識することが大事であると僕は思っている。
専門性というのは、何も1つの分野に優れている(深さ競争)だけを言うのではない。
ある種の「レアリティ(希少性)」みたいなものがあればいいのである。
となると、「深さ」だけでなく「幅」もあれば(「深さ」×「幅」)、その希少性は増していく。
レアリティを
これは掛け算の議論だ。
深さ競争がレッドオーシャンであるのに対し、「深さ」×「幅」の競争はブルーオーシャンである。
あなたの個性や今までのキャリアが掛け合わされる度、その希少性は増していく(例えば1/50の希少性×1/50の希少性×1/50の希少性みたいに)。
そういうゼネラリスト的なアプローチで専門性を身に付けることも可能なのでは?
僕はそんなことを考えている。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
どんぐりの背比べ。
その中におけるスペシャリティ自慢。
僕はそういうのにウンザリしてしまいます。
もちろん仕事を続ける上である程度のハッタリは必要だとは思いますが、そればかりだと真の意味でのスペシャリティを身に付けることはできません。
キャリアを競争戦略的な切り口で考えるなら、大事なことは希少性です。
スペシャルじゃなくても、レアであれば生き残ることは可能です。
人と違うことをやっていきましょう。