等身大でOK!

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自分を「盛らない」

「管理職になったのだから、ちゃんとしなければならない」

そう考える人は多いと思う。

まあ間違ってはいない。

ただ、できるならいいけれど、とも僕は思ってしまう。

プレイヤーからマネージャーになって、その瞬間から人格が切り替わり、聖人君子に生まれ変わる、なんてことは、どう天地がひっくり返っても起こることはない。

凡庸な自分は凡庸な自分のまま。

煩悩に囚われた自分は煩悩に囚われた自分のまま。

それが現実である。

ただ、その際に、ギャップ(乖離)を感じた時に、自分を「盛らない」ということは非常に大事なことだと僕は思っている。

「ちゃんとしなければならない」と思うこと、そしてそうなれるように努力するところまではいい。

でも、現状そうではない自分を、そうであるように見せること(必要以上に)はやめておいた方がいい。

今日はそんな話である。

呼ばれ方が変わっても、中身はそのまま

マネージャーになって、周囲からの視線が変わったように感じる人は多いと思う。

呼ばれ方も「課長!」みたいになって、何だか自分が変わったような、それなりの人になったような気がするかもしれない(「立場が人を作る」なんて言葉もあるし)。

でも、残念ながらそんなことはない。

呼ばれ方が変わったとて、役職が付いたとて、卑小な自分は卑小なままである。

狭量であったり、ズルかったり、意地悪であったり、まあ管理職という仕事をしていると、自分の弱さと向き合う場面がたくさんある。

そこに対峙した時、あなたはどのように行動するか?

それがマネージャーになって1つ目の分かれ道であるように僕は思うのである。

そして、自分を必要以上に「盛る」方向には進まない方がいい、というのが今日の話である。

理想の課長像はチームの阻害要因になり得る

「課長らしくあらねばならない」

多くの人が囚われているのは、このような幻想である。

ここで幻想という強い言葉を使うのは、それが有害にすらなり得るからである。

皆さんが思う「課長像」というのは、時にチームにとって阻害要因になり得る。

それは単純に実力不足であるからである。

そしてその実力不足としっかりと向き合うことなく、上辺だけそれっぽく見せることによって、部下が混乱し、愛想を尽かすことに繋がるからである。

上手に甘える

「部下が自発的に動かなくて困っている」

そのような悩みを相談されることがよくある。

その際に僕が思うのは、上手に部下に甘えられていないのだな、ということである。

よく「部下を動かすためには仕事を振りなさい」ということが言われるけれど、これは半分間違いで、「仕事を振る」のではなく、「できないことを頼る」というニュアンスで捉えておくとチームは円滑に回るようになる。

もちろん、努力はすべきだし、それができないこと自体は恥ずかしく思うべきではある。

ただ、現時点ではそれができないことは事実なので、それをつまびらかにしてしまう。

そして頼れるところは思い切って頼ってしまう。

そのような感覚が大事なのである。

下請けとアウトソーシング

これはアウトソーシングの思想(下請けではなく)に近いものかもしれない。

多くのマネージャーは部下に仕事を任せる時、「下請けに出す」というような感覚を持っているように僕には見受けられる。

もちろん、その種の仕事がないとは言い切れない。

ただ、そうじゃないものについては、ある種対等な関係というか、協力会社にお願いするみたいな感覚を持っていた方が良いと僕は思っている。

餅は餅屋というか、適材適所というか、得意不得意は誰にでもあるものなので、その仕事が得意な人に頼ってしまえばいいのだ。

それを認められずに、「自分は課長だからこのくらいのことが出来なければならない」と思って、そこで流れを止めてしまう方が良くないのである。

得意なフリはNG

そしてもっと悪いのは、その仕事をさも得意であるかのように振舞ってしまうことである。

そうすると、アウトプットは悲惨なものになる。

でも、部下は部下で、上司であるあなたにはその品質が劣ったものであることをなかなか言い出せないものでもある。

結果、成果は停滞することになる。

これはよろしくない。

だったら、まず頼ってしまえばいい。

そして、その後に猛烈な努力によりキャッチアップをすればいい。

そんな風に思うのである。

恥をさらし、それを埋めるべく努力をするという物語

最近は「心理的安全性」という言葉がよく使われる。

(個人的には乱用のきらいがあると思っている言葉であるが)職場で心理的安全性を高めるには、上司が率先して恥をさらすことが大事であると僕は思っている。

それは何も個人的な事情を開示しなさいということではない。

「不得意な仕事を不得意であると認めること」

「誰しもがそうであること」

それができれば、チーム内にも自然と恥をさらしてもいいのだ、という雰囲気が生まれるようになる。

もちろん、その後の努力というのがセットであることは言うまでもない。

そしてその努力が実を結び、実際にそれなりに不得意な仕事ができるようになると、この一連の物語は、チームに力強さを与えてくれるようになる。

「いまできないことは恥ずかしいことではない。努力をすればいいのだ」

ヘンなプライドを撒き散らすのではなく、そのようなありのままの自分を見せることができれば、チームはもう少し先へ行けるようになる。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

ありのままでいい、というのは、そのままでいい、というのとはちょっとニュアンスが違います。

いつも言うことで恐縮ですが、大事なのは「志向性」です。

今は何者でもないかもしれないけれど、何者にかになりたいと思って努力しているその状態に人は心を打たれます。

弱い部分を見せながらも、それを克服すべく努力を続けていきましょう。