上司がいるから帰りづらい問題について

UnsplashMitchell Luoが撮影した写真

付き合い残業が生産性を低下させている?

生産性の議論になると、残業時間が長いから、という言葉が付帯してくることが多い。

そして、残業時間が長い原因の1つに、「付き合い残業がある」ということがよく挙げられる。

「本当は帰社できるのに、上司がまだ残っているから帰りづらい」

日本企業に勤めた経験がある方なら、よくわかる感覚であると思う。

さてさて。

このブログは主にマネージャー向けに書いているものなので、帰りづらさを与えているのは実はあなたかもしれないという方向に議論を進めていく。

あなたというマネージャーが早く帰らないから、部下が帰りづらく、結果残業時間が延び、生産性が低下している?

裏を返せば、あなたが早く帰れば、部下も早く帰ることができ、残業時間が削減され、生産性が向上する?

今日はそんな話をしていこうと思う。

正直どっちでもいいが…

冒頭に色々書いておいてなんではあるが、この話について僕個人としては「どっちでもよくね?」という非常に投げやりな感想を持っている。

正直、上司が残っていようがいまいが、帰る奴は帰るし、帰らない奴は帰らない。

ただ、それだけだと流石にあんまりなので、以下僕の考えを述べていく。

残業代=プロセス重視

議論のすり替え感はあるかもしれないけれど、この話における本当の問題は、給与の源泉が「残業代に多く依存している」ことにあると僕は思っている。

残業を長くやろうが短くやろうが給与が変わらないのであれば、上司が残っていようがいまいが、サッサとみんな早く帰るようになるだろう。

これはいつも言う「プロセス」に重きを置きすぎる日本社会の悪しき習慣であるように僕は思う。

もう少しマイルドな言い方をするなら、プロセスを評価するのは別に構わないけれど、その比重が少し高すぎるように僕には思えるのである。

在宅勤務により残業代が減り、給与が減った

これはコロナの時によく議論にのぼったことでもある。

コロナによって在宅勤務が増え、残業時間が削減され(残業という概念が変わり)、残業代が激減した。

結果、給与も激減することになった。

個人的な体感としては、普通の給与部分は家賃や光熱費などの生活費に充当されており、残業代の部分が余暇に使われている、それがなくなるのはキツい、そんな感じであった。

それで副業や投資のような話が盛んになった訳でもある。

残業を減らしたいの? 生産性を上げたいの?

さて、話を元に戻す。

「上司がいるから帰りづらい、結果残業代がかさみ、生産性が落ちる」という議論は間違っているとは言えないものの、本質からややそれた議論であるように僕には思える。

というのは、そもそもの給与制度が残業代に依存しており、それがなければ生活にゆとりが出ない、だから多くの人には残業をする(残業代を稼ぐ)インセンティブが潜在的にあるからである。

その「言い訳」にされているのが、「上司が帰らないから」という言説であるように思うのだ。

もちろん、実際に上司が会社に残っていることで帰りづらいということはあると思う。

本当に用事がある時などは、こんなに煩わしいことはないくらいの話であるのは事実でもあると思う。

ただ、本当に生産性を向上させたいなら(残業代を削減したいなら?)、変えるべきは給与制度そのものである。

残業代の割合を減らし、その分ベースの給与を上げて、その内訳についてもアウトプットの比率を高める。

それでこの問題については解決の方向に大きく近づくように思える。

残業がなくなれば、時間の概念も変わる

ここから議論がやや逸れるけれど、サクッと帰れるようになれば、アフター5も充実するようになるだろう。

それは別に余暇としての時間が増えるという意味だけでなく、家族との時間が増えたり、そこから別の会社で働いたり、何というか時間の概念が変わるような気がするのである(実際にコロナ期に体感した人も多いだろう)。

もしかしたら、少子化の議論人材不足の議論の解決の糸口にさえなるかもしれない。

ワーク・シェアリングとまでは言えないかもしれないけれど、多くの人たちがそれぞれの時間で複合的に働けるような環境ができれば、本来の意味での生産性の向上に繋がるような気さえしている。

そのベースにはアウトプット(成果)の概念が絶対に必要だ。

もちろん、成果物をどうやって定義するのかや、その成果評価についてはどうすべきかという議論はここに付帯してくることは前提として、プロセス偏重の給与制度というのはいずれにしても変えるべきだと僕は思っている。

真っ当な評価を求めることは過激なことなのだろうか?

こういう話をすると、成果主義は上手くいかないということが反論として出てくるのだけれど、本当にそうなのだろうか?

もう少し丁寧な言い方をすると、確かに成果主義には問題も多いけれど、それでも現状よりはマシなのでは? と僕は思ってしまうのである。

働かないおじさん問題など、会社にいても何の生産性にも寄与しない人は大勢いる。

もちろん、それを全部排除しろというような過激な話をしたい訳ではない。

単純に、成果を上げた人が(もう少し)真っ当に評価されることを望んでいるだけなのだ。

少なくとも、上司がいるから帰れないという言い訳をしながら、残業代を稼ぐような人たちが得をする制度はもう時代には合っていないように思う。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

上司が最後まで残っているのは、何か問題が起きた時に対処できない事態を防ぐため、ということはあまり理解されていないような気がしています。

もちろん、そんなこと関係なくただ残っている人たちがいることも事実ですが、個人的には、この問題へのリスクヘッジの意味合いが非常に大きいと思っています。

どうせ誰もやってくれないし。

「早く帰ったら帰ったで文句ばかり言う環境の中で、都合よくスケープゴートにされているのがマネージャーである」

そんなことを言うと袋叩きに遭いそうですが、責任を曖昧にしたまま、権利だけ主張するのは違うのではないか、と僕は思ってしまいます。

権利の主張と義務の履行はワンセットです。

もう少し大人の世界になることを僕は望んでいます。

(それができないなら)ドライにルールメイクしていきましょう。