志向性を認める

UnsplashWilliam Hookが撮影した写真

努力すらしようとしない部下が嫌い

どんなタイプの部下が一番嫌いですか?

そんな質問から今日は文章を始めてみる。

これに対して色々と考えてみた結果、僕は現状を打破しようと努力すらしようとしない部下が嫌いである、という答えが思いついたので、それをもう少し広げていく。

「現状を打破しようと努力すらしようとしない部下が嫌い」というのは、「現状が悪いこと自体は嫌いではない」ということを間接的に意味する。

確かに僕はそのことについては何とも思っていない(まあ、できないものはできないし、しょうがないじゃん)。

イヤなのは、「努力すらしようとしない」という部分である。

裏を返せば、どんなに現状が悪くても、努力をしようとしている部下は嫌いではない、ということになる。

さて。

ここから話は育成論に繋がっていく。

どんなにダメな部下であっても、その現状を変えようとしている部下については精一杯支援すべきである。

それが僕が考えるマネジメントだ。

そしてそれを僕なりの言い方に直すなら、「志向性を認める」ということになる。

意味が分からないかもしれないけれど、とりあえず話を始めていこう。

クセが強くダメな部下ばかり

以前から何回も書いているように、僕のチームには(世間一般で言う)ダメな部下ばかりが集まってくる。

そしてクセも強い。

そんな状況であっても求められるものは変わらない。

成果の水準が情状酌量されることはなく、普通の部下が集まったらこのくらいの成果にはなるよね、という基準と同じものを求められる。

それに対して「あんまりだ」とは思うものの、思っていたところで何かが変わる訳でもない。

だから、そのクセ強ダメ部下(言い過ぎか…)を何とか戦力にしなければ、僕の仕事は成り立たなくなってしまう。

「さて、どうするか?」というのが、最初の問題設定である。

努力をしようとしていること、それ自体

多くのマネージャー達は、「部下がダメで…」とか「自発性がなくて…」とか悩んでいるようだけれど、僕にとってはそれはデフォルト値であって、そこにいつまでも留まっていても仕方がないのである。

そしてその答えとして、僕が日々実践しているのが今日のテーマでもある「志向性を認める」ということである。

これは冒頭にも書いたように、現状についてとやかく言うものではない。

仕事のできなさ自発性のなさ協調性のなさ等々については、それがデフォルト設定になってしまっているので、そこに対して嘆いていても仕方がない。

それを前提として、「じゃあどうするのか?」というのが大事なのである。

そしてその際に僕が求めるのが、何らかの努力をしているのか、ということである。

もう少し言うなら、努力をしたことによって実際に変わるかどうかということはあまり重要視していない、ということにもなる。

何者かになろうとしている過程を理解し、認めること

努力は必ず報われる訳ではない。

でも、努力しようとしなければそもそも報われない(天才だって、めちゃくちゃ努力をしている)。

そのような「斜め上に進もうとしている意思」というのが大事なのである。

そしてマネージャーの役割は、その「何者かになろうとしている過程を理解し、認める」ということである。

その際に重要なことは、基準点をその対象者の水準に合わせる(自ら求める水準ではなく)ということである。

以下、もう少し詳しく書いていく。

求められるべき水準と伸率と志向性

僕たちは部下を評価する際に、「求められるべき水準」というものを意識している。

この部下の経験年数であれば、このくらいの成果は求められるべきだよね、という基準点を設けている。

それ自体は間違いとは言えない。

むしろ、人事評価においては必要なことである。

ただ、チームの成長という観点から考えると、それはやや高すぎる球になってしまう可能性が高い。

表現を変えるなら、その基準点との乖離が(あまりにも)大きいから、現状のチームは停滞しているのである。

それをいくら求めたとしても、それはやや絵空事めいたものに留まってしまう。

だから、基準点はとりあえず脇に置いておいて、「伸率」に目を向ける。

現状と比べてどれくらい伸びたかに意識を向ける。

そして、それを更に緩めたものが、今回のテーマである「伸びようとする率(志向性)」である。

伸びようとしていること、それ自体を評価する

本来は基準点までの達成率を求めたい。

でも、それは不可能だ。

だったら、伸率を求めたい。

それも難しい。

では、伸びようとしていること、それ自体を評価する。

それが僕が考える育成論である。

努力は裏切るけれど、努力をしようとしていることそれ自体は裏切らない

努力は人を裏切らない。

それはだ。

努力は簡単に人を裏切る。

でも、努力をしようとしていることそれ自体は人を裏切らない。

成果は水物である。

そこには運の要素だって多分に絡む。

ただ、そこに向かって進もうとしていた意識は変わらない。

部活や勉強が大事なのは、成果やそこで努力できたこともそうだけれど、努力しようとした事実、そこにあるのだと思う。

それは自尊感情にも繋がってくる。

逆境にある時、自分は努力をしようとできる人間なのか否か。

結果はどうあれ、そこで自暴自棄になったり、腐ったりすることなく、それまでの過程を慈しめるかどうか。

そこに人生の面白さは内包されているような気がする。

それはきっと仕事においても同様なはずだ。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

自尊感情、これが低いのが日本社会の問題なのではないか、と思う時があります(もう少し今っぽくするのであれば、自尊感情というよりも自己効力感と言い換えた方が良いかもしれません)。

自分が自分を信じられるかどうか。

自分の可能性を自ら認められるかどうか。

それがないままでは、自律的なチームの確立は不可能です。

ただ、それができない人が多い。

もっと言うと、それを他者に委ねてしまっている人が多過ぎます。

志向性を認めることは、他者を評価することではなく、他者に自分を評価させることだと僕は考えています。

そしてそれは育成論にも繋がる。

他者を育成するのではなく、他者に自分を育成(成長)させるように仕向けるのがマネジメントです。

マネージャー頼りの部下を作るのではなく、自律させていきましょう。