理解者でいること

UnsplashBruce Comberが撮影した写真

よくある研修テーマみたいな話ではなく

部下をよく知ること。

マネジメントをある程度経験してくると、このことの重要性が身に染みてわかってくる。

もちろん、部下は他人なので、殆どのところはわからない。

職場以外でどのような顔をしているのか、どんなことを考えているのか、そんなことはわかるはずもない。

また、職場内でも、マネージャーに見せる顔以外を知る術はあまりない。

あくまで知ることができるのは、そのほんの一部、表面の更に表面くらいのものである。

だから、今日の話は「部下のことをよく知りましょう」という研修テーマみたいな話ではなくて、その一端でも理解することが大事なのではないか、ということを書いてみようと思っている。

部下のことをよく知ることは無理だ。

でも、理解者でいることはできる。

それでは始めていこう。

雑談を1on1と呼んでいるだけ

僕は毎週部下と1on1をやっている。

そこでの話は別のブログを参照して頂きたいけれど、簡単に言えば、ただ雑談をしているだけである。

コーチングとか、モチベーションアップとか、そのような成分は含まれていない。

ただ、ダラダラと喋っているだけ。

でも、それだけでも部下のことをある程度は理解することができる。

理解者の立場

僕はマネジメントというのは、結局のところ「部下がそこにいることを認める」ことなのではないか、と最近考えている。

その行動や言動の背景に何があったのか。

それを一部でも理解していること理解されていると部下に思ってもらえること、それが重要であるような気がしている。

もっと言えば、それを受容するということもそこには含まれている。

どんなに酷い行動であれ、言動であれ、その意図のようなものを理解すること。

それは(大仰ではあるが)「赦し」みたいなものとも言えるし、「愛」みたいなものとも言える。

それも愛と言っても、(母性愛ではなく)父性愛みたいな感じ。

共感はできなくても、同意もできなくても、「まあ、しょうがねえなあ…」と思えるような。

それを部下にも感じてもらえるような。

理解者の立場。

それがマネージャーが目指すべきポジションであるような気がしている。

支援よりも理解を

このブログの最初の頃に、「管理職から支援職へ」という記事を書いた。

僕の考えは基本的にはその時と変わってはいないものの、支援というよりも理解という方が今の僕にはしっくりくる。

支援というのは、矢印が部下の方向に向いているような気がするし、そこには前傾姿勢というか、体重移動があるような感じがする。

でも、理解というのは、その矢印も弱いし、体重移動もあまりないような感じがするのだ。

どっしりと構えているというか。

向こうから来たものをしっかりと受け止めるというか。

能動性よりも受動性。

支援しようという前のめりな試みよりも、理解しようという受けのスタンス。

何か部下側からアクションがあった時に、きっちりとリアクションできること。

その背景にある部下への理解。

そこにマネジメントの要諦があるような気がしている。

虚構でもいい

と偉そうなことを書いているが、冒頭にも書いたように僕には部下のことはよくわからない。

あくまでもわからないというのが前提である。

でも、わからないなりに、わからなくても理解者であるという立場は取れるような気もするのだ。

そしてそれはある種の虚構でも構わないとすら思っている。

本当に部下のことをわかっていなくても、理解していなくても、部下からはわかっていると思われていること。

この人に話をすれば、全部とは言わなくても、大意は伝わると思って貰えること。

それは信頼と言い換えることもできるのかもしれない。

でも、もっと弱いというか、そこまで強くないもの。

それがあれば十分なのでは?

そう思うのである。

マネージャー? カウンセラー!

僕は人の話を聞くことが得意だ。

その人が言わんとしていることの本質を捉え、それなりに言語化することができる。

そしてその背景にある思考や感情みたいなものもある程度理解することができる。

もし今の仕事を辞めたら、占い師にでもなろうかと思っているくらいだ(これは冗談だ)。

相手の思考や感情がわかることは非常に疲れることではあるけれど、マネジメントという仕事においてはそれは長所にもなり得る。

そのようなHSP的傾向と僕は最近ようやく上手に付き合うことができるようになってきた。

それはカウンセリングに近いものだ。

マネジメントというと、部下への能動性みたいなものを意識する人がとても多いのだけれど(以前の僕もそうだった)、必ずしも部下へ働きかけることが全てではないと今の僕は思っている。

部下の話をよく聞き、それを整理してあげること。

素晴らしいアドバイスをしようと肩肘を張るのではなく、リラックスして話をしてもらえるような関係性を構築すること。

たぶん僕の名刺には「マネージャー」ではなく「カウンセラー」と入れた方がいいのだろう(これも冗談だ)。

でも、それくらいイメージを変えると、マネジメントという仕事に対するスタンスは変わってくるし、チームの色や味わいみたいなものは大きく変わるはずである。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

同調圧力。

不謹慎厨。

そこには他者に対する理解というものが圧倒的に欠如しています。

僕たちはみな同じでなければならない?

同じ気持ちでいなければならない?

同じじゃなくても、同じ気持ちじゃなくても、他者を理解することはできますし、仲間でいることはできます。

もちろん、喪に服すことすらも。

違うことは悪いことじゃない。

違うことを受け入れてはじめて、他者というものが理解できます。

子供と大人。

その分水嶺が、異質な他者への理解なのでは?

その方が、違いがある方が、面白くないか?

同じであることを強要する社会から、いつも疎外感を感じている僕が思うのはそんなことです。

断絶することは簡単。

接続することは困難。

他者の異質性を理解し、面白がっていきましょう。