(当たり前だけど)やってる風とやってるは違う

UnsplashHartonoが撮影した写真

肥大化した自己

ホンモノとニセモノ。

仕事をしていると否が応でもこのことを意識せざるを得ない。

でも、多くの人にはこの違いがよくわからないようだ。

もちろん、僕だってその範疇に入るかもしれない。

でも、あまりにもさ、と思う時がある。

それも、本人自身も自分はホンモノだと、疑う余地もなく100%信じ切っているとするなら、これは結構危険な状態のような気がする。

ただ、これが当世流なのだ、きっと。

たくさんの自己アピール。

たくさんのいいね!

うんざりだ。

今日はそんな愚痴めいた話である。

マネージャーが原因である場合は結構多い

「マネジメントが上手く行かない」

「チームが何となくしっくりこない」

そんな相談を受けることがある。

もちろん、そのチーム毎に問題点は違うので、一概に「これが解決策だ!」と言うことはできない。

ただ、僕がそれなりの数の相談を受けてきて思うのは、マネージャー自身の行動がその原因になっていることが結構ある、ということである。

そして、それをマネージャー本人も自覚していないことが多い、ということも。

客観性を担保する為に、自分と異なる考え方を持つ人を近くに置く

では、自分がチームの向上における阻害要因になっているかどうかをどのようにチェックすればいいのだろうか?

これは結構難しい話である。

自分という主観から離れて、自分を客観的に評価することは、実際問題として不可能に近い行為であるから。

でも、それに近い方法はある。

自分と異なる考え方を持つ人を近くに置く、ということである。

もっと言えば、多種多様な考え方を持った人たちと仕事をする、ということになるかもしれない。

生物学的なイメージ

そしてここには生物学的なイメージ科学論文的なイメージが僕にはある。

生物学的なイメージというのは、種の保存のような感じで、生物種が絶滅を免れる為には、環境に適応しすぎない方がいい(環境に適応しすぎたものだけで構成されない方がいい)、ということである。

上意下達というか、独裁というか、とにかく自分の言っていることが何の反対意見もなく、すんなりと通るような事態が続いているとするなら、それはあまり良いことではないと自覚すること。

一見スムーズなマネジメント運営のように見えるかもしれないけれど、そうではないのではないか、と疑うこと。

これが自分を客観的に評価する助けとなる。

科学論文的なイメージ

また、科学論文的なイメージというのは、査読みたいなもので、内容の妥当性を様々な専門家に見てもらうことでその論文自体の強度を担保する、ということである。

これはポパーの言う反証可能性にも関わってくる。

自分の言っていることや方針に反証可能性があるかどうかをチェックすること。

ただの感情や、その場の雰囲気だけで、戦略を決めていないかを顧みること。

これも自分を客観視することを助けてくれる。

そして、そのような客観性をある程度具備していることが、やっている風とやってることを分ける分水嶺になるのではないか、というのが今日の議論である。

正直者が馬鹿を見るようなチーム

人間は自分には甘い。

自分のやっていることは他人がやっていることよりもよく見える。

これは性質みたいなもので、良いとか悪いとか、そういう範疇の話ではない。

そういうもの、なのである。

でも、それが常態化すると、チームには白けた雰囲気が漂うことになる。

もう少し嫌らしい言い方をするなら、「小ズルいこと」をやる方が得なのだ(正直者は馬鹿を見るだけだ)というような文化が蔓延するようになる。

もちろんこれは露骨に表面に出てくる訳ではない。

チームのベースの部分が腐っていくように(シロアリのように)、ジワジワとチームの状態を悪くしていく。

ただ、マネージャー自身が「主観オブ主観」のようなスタンスで仕事をしていると、自分自身もそうであるし、部下もそうであるが、本当にやっている人とやっている風の人の違いが分からなくなってくる。

結果、正直者が馬鹿を見るようなチームが出来上がる。

それでは(言わずもがなであるが)成果は上がらない。

ただ、そこにいる当事者は何が原因であるのかわからない。

そこで冒頭のような相談に来るわけだ。

「チームがしっくりこない」と。

真っ当な仕事を真っ当に評価しよう

僕は自分自身を客観的に見ることと、部下の行動をきちんと見極めることが大事だと思っている。

まずは上記したように、自分自身の行動がやってる風ではなく、実際にやってるかどうか常に確認しておくこと。

ちょっとでもズルをしようとしたら、周囲の人間がそれを指摘できるような関係性を普段から築いておくこと。

それが出来たら、部下にもそれを求めていく。

部下もマネージャーと同様人間なので、自分には(とてつもなく)甘い生き物である。

そして、漫然と仕事をしていると、本当にやっている部下とやってる風の部下の見分けがつかない、というのも事実である。

だから、きちんと部下の行動を見極める必要があるのだ。

表面的な事象に囚われるのではなく、そこにある動機みたいなものにまで目を向け、本当に真っ当に仕事をしている人を評価すること。

誤魔化しや、阿りが、このチームでは有効なのだ、と勘違いさせないこと。

真面目に前向きに仕事をすれば、きちんと評価されるのだ、という文化を醸成すること。

これは不断の努力でしか成し得ない(し、すぐ腐ってしまう)。

自分に厳しい仕事を。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

耳の痛いことを言う人を近くに置きなさい。

統治論でよく言われるこの話を実行できる人はそう多くありません。

でも、もしあなたが自発的なチームを作りたいのであれば、これは絶対にやった方がいい。

マネージャー(自分自身)を例外扱いしないこと。

厳しいことを言い合えるような関係性の輪の中に自分も含めること。

そのような監視の目を自分にも向けてもらうこと。

そこで真っ当な仕事をすること。

それが「大人のチーム」の条件です。

真っ当な仕事をし、真っ当な仕事を評価していきましょう。