緊張感を少しだけ

UnsplashDino Reichmuthが撮影した写真

自由と放任は違う

自由なマネジメントが好きだ。

というか、大人なんだから自分で考えて、好きにやれよ。

それが僕の仕事における基本スタンスである。

でも、そのような話をすると「そりゃ理想ですけど、そんな風にすると部下が怠けたりしませんか?」という質問が出ることがある。

まあ言っていることはわからなくはない。

ただ、自由と放任は違う。

そして、この質問者のように、この両者を上手く扱えないマネージャーはとても多い。

もう少し言うなら、自由というのは優しさからもたらされるもので、放任というのは甘さからもたらされるものである。

また、優しさの中には緊張感が含まれているものである。

意味がよくわからないかもしれないけれど、今日はそんなことを書いていこうと思っている。

それでは始めていこう。

自由とアクセントとしての緊張感

ベースは自由。

そこにアクセントとしての緊張感を少しだけ。

これが僕が実践しているチームビルディングのコンセプトである。

部下に好きなように働かせることが成果を上げる為には重要であり、その為の環境構築をするのがマネージャーの仕事であると僕は考えている。

遠くに小さな柵がある牧場

ただ、「好きなようにさせる」というのは「放任」とはちょっと違う。

以前に牧場の例えをしたことがあるけれど、僕が考える自由というのは、遠くに小さな柵がある広い牧場のことを指す。

これは柵のない原っぱ(放任)とは異なる。

普段は意識されないような規律や緊張感、それが遠くにぼんやりと見える状態。

でも、日々の活動の中では、それが障害になったりすることはなく、自由に活動ができること。

それが僕が考える自由の概念である。

規則とそこからの逸脱

これは「規則とそこからの逸脱」みたいなものを想像して頂けるとわかりやすいかもしれない。

何も規則がないと、それはそれでつまらない。

ある種の規制があるからこそ、そこからの逸脱が面白くなる。

だから、ルールの枠内で、多少の逸脱も含めて、自由を謳歌するというのが良いと思うのだ。

これが何の規則もないと、文字通り無法地帯となってしまう。

何が面白いのかがわからなくなってしまう。

そういう意味でも、何らかの枠組みは必要だ。

でも、それが日々の行動を縛るようなもの(強度が高いもの)であってはならない。

そんな風に僕は考えている。

甘いだけでは?

ここには冒頭に書いた「優しさ」と「甘さ」の概念が関係してくる。

現在の環境下、マネージャーの多くは甘さに基づくマネジメントをやっている(と僕は考えている)。

「何でもOK」

「いいよ。いいよ」

そのような対応。

それは一見すると、「優しい」マネージャーのように見える。

でも、僕からすればそれは「甘さ」でしかない。

部下のことなんて考えていないのだ。

加えて、チームのことも考えていない。

ハラスメントを恐れるあまり、何でもかんでも許容することは優しさとは違う。

自由の責任を誰が取るのか?

これは自由の概念にも関係してくる。

「部下に任せて、自由に仕事をさせる」というのは、文章だけからすると、「優しい」とも「甘い」とも捉えられる。

でも、マネージャーに責任感がないなら、それは甘さでしかなくなる。

そうなのだ。

大事なのは、「自由の責任を取る誰か」が存在することなのである。

そして、それはマネージャーであるべきだ。

僕はそのように考えている。

そして、そのような責任を取る者が不存在であると、優しさは甘さに転じることになる。

未来の責任をも負う覚悟

部下に自由に仕事をさせること、部下の失敗を許容すること、そのようなマネジメントスタイルを取る以上、責任を取る覚悟はマネージャーには不可欠となる。

それはその時起きた事象に対してもそうだし、部下の行動に対してもそうだ。

更に言えば、時制として、現在に対してもそうだし、未来に対してもそうだ。

現在の責任はもちろんのこと、未来の責任に対しても負う覚悟があるか否か。

そこが優しさと甘さを分けるポイントなのではないかと僕は考えている。

責任の主体者が存在すること

また、それこそが今回のテーマである緊張感に繋がっていく。

緊張感といっても、部下を委縮させるようなオーラを発しろということを言いたい訳ではない。

昭和時代のように、上司部下という権威関係の下で仕事をしなさいということを言いたい訳でもない。

単純に、責任を取ることが当たり前だよねという文化の下で仕事をする、ということである。

そして、その主体者は(繰り返しになり恐縮であるが)マネージャーであるべきなのだ。

責任感を持った仕事とは?

「何かが生じたらマネージャーが責任を取ってくれる」

「でも、マネージャーに迷惑をかける訳にはいかない」

このような考え方がチームのベースにあると、部下自身も責任感を持った仕事をするようになる。

それは強制すべきものではないし、作ろうとして作れるものでもない。

でも、マネージャーが日々誠実に仕事をしていれば、自然とそのような文化が出来上がっていく。

難しいことではないけれど、簡単にできるものでもない。

ただ、だからこそそのような方向に進もうと努力すべきなのだと僕は考えている。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

自己責任論の普及と、それを回避するための無責任の蔓延。

それが現代です。

ただ、責任を取る当事者が存在しないと、自由は放任に堕してしまいます。

では、その責任を誰が取るか?

オレじゃね?

何でもかんでも責任を擦り付けようとしてくる世の中において、責任を取ろうとすることは非常にリスキーですし、低コストパフォーマンスです。

でも、それなくして、自由なマネジメントは不可能です。

進んで泥水を被っていきましょう。