「実態」を把握する
揉め事の輪郭をはっきりとさせるために
揉め事が起こった時に重要なのは、「本当のところはどうなのか」ということだ。
それがどのくらいの頻度のものなのか、どのくらいのレベルのものなのか、を的確に捉えて、打ち手を考える。
でも、話を聞いているだけでは、それは「なんとなくの雰囲気」の領域に留まったままになってしまう。
エビデンスが必要となる。
そこですべきなのは、ペーパーに落とすことだ。
当事者が言っている事象について、具体的にペーパーに落としてもらう。
僕はそれをメンバーの共有フォルダに入れて、それぞれが起こった事象について入力できるような形にしている。
書き込むのも閲覧するのも自由だ。
書き込む際には実名を必ず明記するという条件でこれを行っている。
揉め事を可視化する
これを基に僕は判断を行う。
ここでの狙いは2つだ。
1つは、文章にするという行為を通じて、その事象について冷静に本人に考えさせること。
もう1つは、(あまり好きな言葉ではないが)「見える化」することだ。
揉め事をメンバーが表明する意図として、もちろん本人の窮状を理解して欲しいという心情はあるのだけれど、そこには「組織として対応して欲しい」という願いも含まれている。
これは「マネージャーとしてどのように考えているのですか?」というオフィシャルな問いかけでもある。
全てに対応していたらきりがないし、かといって本当にマズい事象を放置しておくわけにもいかない。
なあなあにやり過ごす、というのが当世流ではあるのだろうけれど、僕はこれを可視化することで(透明にすることで)対処している。
揉め事は地下に潜り、「いじめ」になる
日本的な美徳でもあるので良し悪しは言いづらいけれど、こうした揉め事というのは日本社会では「地下に潜りがち」だ。
表には出てこないのだけれど、裏側で陰口やいじめになっていたりする。
それも集団で。
僕はこのような風潮があまり好きではない。
言いたいことがあるのであれば面と向かって言えばいいのだ。
返り血を浴びる勇気もないのに、陰で尾ひれをつけて言いふらしていたりする。
本当に嫌になる。
殴り合え、とは言わないまでも、一回は対峙すべきだと思っている。
上手な喧嘩、というか。
そこでどのような方向に向かうか、よりも、対峙した事実(表明した事実)の方が大事だと僕は思っている。
もちろん、面と向かって言うのは難しい場合もあると思っているので、このようなオフィシャルな書き込み場を作っている。
チーム内における「日頃の行い」の質をメンバーはきちんと判断できる
実際に運用してみて思うのは、当初はギクシャクするけれど、少し長い目で見れば効果的だ、ということだ。
ここにはマネージャーも含めた他のメンバーの目が入っていて、「言い分」が可視化されている。
日常業務を共に行っていて、それが妥当なものなのか、そうでないのか、というのはわかるものだ。
自身の判断に不安が残る時には、そのペーパーを基に当人同士やその周辺のメンバーに聞き込みを行ったりする。
この過程が非常に大事だと思う。
このブログ内でも書いたことであるが、不満はなくならない(「課内の揉め事にどう対処するか?」参照)。
1つの不満を解決したとしても、また別の不満が出てくる。
モグラたたきゲームのように、それは永遠に続く。
だから、「解決」しようとするのではなく、それを「可視化」することが大事なのだ。
それをマネージャーが認識しているということをオープンにすることが大事なのだ。
そして自体がもっと深刻な場合には、マネージャーの上司に対して事象を説明する際にもこのペーパーを基に説明すると、その実態の深刻度がよりよく伝わる。
経緯の流れもわかるし、ただ口頭で説明するよりも話がすっと伝わる。
個室での面談にはリスクもある
個人的には、フォルダ内に書き込むというのは、何というか陰湿な感じがしてあまり好きではない。
でも、やってみて思うのは、個別に個室に呼び出して、1対1の面談を繰り返していく、そして事情聴取をしていく、という方法よりも「オープン」だなということだ。
メンバーと話していて驚いたことだけれど、彼らはその個室の中で「あることないこと言われている」と思っているようで、更に悪いことにマネージャーがその後どのような対処を行ったとしても、「丸め込まれた」と思うということだ。
「マネージャーは結局あの人に逆らえない」というような、変な噂が立つようになる。
これは事実ではないことが多いのだけれど、メンバーはそう受け取ることが多い、というのが実体験としての感想だ。
それを防ぐために考えたのがこのペーパーに落として共有させる、という手法だ。
まだまだ改善の余地はあると思っているが、少なくとも僕の意図が段々と浸透していったこともあって、現状はうまく機能している。
マネージャーのキャラクターによって運用は変えればいいと思うし、僕も数年後にはもっと良い用法を考え出すと思う。
揉め事は確実にチームの生産性を落とす。
できるだけないに越したことはないと思う。
でも人間同士が働いている限り、それを完全になくすことは不可能だ。
そして、消去法的ではあるものの、いじめや集団リンチよりは、決闘の方がマシと僕は思っている。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
意見は分かれると思うのですが、僕は大岡裁きのように、マネージャーが最終判断を下すべきだ、という考え方があまり好きではありません。
そこに「責任逃れ」という逃げの要素がないとは言い切れませんが、何というか、自分達の職場環境くらい自分たちでどうにかしろよ、という考え方が根本にはあります。
本文中にも書いた通り、喧嘩をした後ならともかく、喧嘩をしてもいないのに(表現すらせずに)その揉め事の解消をマネージャーに一任してしまうという心性が僕にはあまり理解できません。
悲しい事実ですが、社会においては自分と合わない人達の方が多数を占めています。
それは相手側も同様です。
その中で、適度な距離感を保ちながら仕事をする為には、自分達でその環境を整備していくしかありません(誰かがそれを与えてくれるわけではない)。
1つ1つ妥協点を見つけながら仕事をしていきましょう。