ポジションを明確にする
リーダーシップは「立ち現れる」もの
これはリーダーシップ論にも繋がる話だと思うのだけれど、「自分の立ち位置」を明確にすることはマネジメントを行う上で必要不可欠だ。
ある事象に対して自分がどのような角度と距離感で対峙するのか、それを明確にすることなくして、リーダーシップは「立ち現れない」。
これは勘違いしている人が多いのだけれど、リーダーシップというのは静的なものではなくて、動的なものだ。
それは「そこにある」ものではなく、関係性の中で「生じる」ものだ。
だから、「オレにはリーダーシップがある」というのは言葉としておかしくて、「リーダーシップが生まれる場に立ち会うことが多い」というようなニュアンスが正当なのではないか、と僕は思っている。
評論家・批評家タイプのマネージャーばかり
想像していただけるとわかると思うが、ポジションを取らない人には尊敬の念は起こらない。
「この人についていきたい」「何とか支えたい」という感情は、ポジションを取っている人に対して沸き起こるものだ。
少なくとも評論家や批評家に対して、「ついていきたい」という感情は起こらないだろう。
でも、多くのマネージャーはこのような評論家や批評家的ポジションを取ってしまいがちだ。
事象を「我が事」にできない。
例えば部下に上手くいかない事象が生じているとして、それに対して対岸から意見するようなことがこれに該当する。
部下が上手くいかないというのはチームの低迷と直結していて、チームの低迷はマネージャーの手腕不足に繋がっているのだけれど、それを自分事として実感できない。
だから、上から目線というか、自分から切り離した事象として意見してしまう。
その対象事象に対してコミットすることなく、俯瞰した立場から意見を述べる。
それはマネージャーとしてあるまじき行為だ。
愚かさの中にリーダーシップは生まれる
ポジションを取らなければ、失敗することはなくなる。
賢そうに見える。
不確実性を目の前にした多くのマネージャーは、そこから一歩引いた状態で、自分の身を守ろうとする。
誰だってリスクは取りたくない。
情報が非対称な状況の中で、的外れなことは言いたくないし、やりたくない。
それは愚か者がする行為だからだ。
でも、その愚かさがなければ、前のめり感がなければ、リーダーシップは生まれない。
リスクも不確実性も承知の上で、それでもオレはこう思う、このようにしよう、と言えるのがマネージャーがマネージャーたる所以なのだ。
リスクフリーな主人公のヒーロー映画なんて見たくもない
「梯子を外す」という言葉もここには関係している。
途中までリスクを取っているフリをしながら、ヤバくなってきたらすかさず逃げ出すマネージャーもたくさんいる。
その責任を全て部下に押し付けようとするマネージャーは世に溢れている。
そのような人を主人公にしたヒーロー映画なんて誰も見たくないだろう?
でもこんなことは日常茶飯事だ。
それなのに、リーダー然として振舞っていたりする。
思わずFワードが出そうになる。
でも本当にそうだ。
そういう人達がリーダーやマネージャーを装っている。
ポジションを明確にしないで、どちらに転がっていっても自分は安全な状態にしておいて、でも手柄は自分のものにして。
リスク0でリターンを得ようとする。
そんなものは世の中に存在しないのに。
暗闇に向かって一歩踏み出す
一歩踏み出すことは勇気がいる。
行き先が暗闇であったり、霧がかかっていたりすれば尚のことだ。
でもそこにしかリーダーシップは立ち現れない。
心もとない装備と、今にも消えそうな松明を手にして、マネージャーは皆を先導しなければならない。
そしてその冒険が失敗したとしたら、その責任を取らなければならない。
少なくとも真っ先に逃げ出すのではなく、しんがりを努めなければならない。
マネージャーがポジションを取らないチームでメンバーがリスクを取るはずがない
こういった心性は周りからは見えづらいけれど、上手くいっているチームには必ずこのようなマネージャーがいる。
自分がどちら側に立つのかを明確にしないのであれば、当然ながらチームメンバーもリスクを取ろうとはしなくなる。
結果として小さく纏まった小綺麗なチームが出来上がる。
一見良さそうに見えるけれど、大した成果は出せない状態が続く。
その原因はマネージャーにあるのに、それを外部要因のせいにしたり、部下のせいにしたりする。
だから、もし本当に成果を出そうとするのであれば、これと逆のことを行えばいいのだ。
リスクを取ろう。
判断をしよう。
自分のスタンスを明確にしよう。
借り物の言葉でなく、自分の言葉を使おう。
ケツを拭こう。
これができれば、少なくともチームが崩壊することはないし、確実に前に進んでいくことができる。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
日本語には主語がない、とよく言われますが、このことはポジショニングにも関係していると僕は考えています。
「私はこう思う」と個人が表明するのは日本社会においては「和を乱す」行為に近く、「何となくこういう感じだよね。みんなそう思っているよね」というような「空気」によって決定されていく方が望ましい、というような風潮がここにも現れているように感じています。
裏返してみるならば、この主語(I)を意識するだけで、日本においてはリーダーシップを示すことができるとも言えるかもしれません。
経験的には、決断を行う(ポジションを取る)という行為は、仮にその判断が間違っていたとしても、長期的にはマネージャーにとってプラスとなる、ように思います。
一時的な失敗よりもメンバーからの信認の方が重要です。
リスクを恐れず、意見を表明していきましょう。