ダサい人たち
判断軸としてのダサさ
僕は物事を判断する時に「ダサい」かどうかで決めるようにしている。
この「ダサさ」というのはあくまでも主観的なものなので、確固たる判断軸がある訳ではない。
そういう意味においては、とても独断的なものだ。
でも使い勝手が良い尺度でもある。
経験者にはわかると思うのだけれど、マネージャーは日々小さな判断を数多く求められる。
その中には判断に迷うものがたくさんある。
そういう時の軸となるのがこの「ダサいかどうか」というものだ。
それを今日は書いていく。
ダサい仕事は長期的には損をする
客観的に何がダサいかそうでないかを証明することは難しい。
数値的に証明できるものは何もない。
ある種偏見に満ちたものになってしまう。
でも数多くの判断を行っていくと、部下達もこの「ダサさ」の感覚がわかっていくようだ。
僕がよく聞くのは、部下同士の会話の中における「ああ。それは確かに正しいけど、たぶんマネージャーは納得しないんじゃないかな」というものだ。
正しくてもダサいものはたくさんある。
ダサい仕事というのは腐るほどある。
目の前の数字が欲しくても僕はこの種の仕事はやらない。
それはもちろんポリシーみたいなものも混ざっているけれど、長期的には損すると思っているからだ。
ダサい仕事という毒
「ダサい」仕事というのは確実に心を蝕んでいく。
マネージャーもそうだし、メンバーもそうだ。
心に疚しさを感じながらする仕事は、その時は何とか乗り越えられたとしても、ずっとわだかまりとして残り続ける。
小さな毒が体にダメージを与え続ける。
それは本当に見えない小さな部分ではあるのだけれど、チームのパフォーマンスに確実に影響していく。
ダサいチームはダサい仕事をしているからダサいのだ。
(このニュアンスはたぶん伝わらないだろうな…)
判断の精度が上がれば、勝てる確率が上がる
僕はチームのメンバーが自発的に判断することが良いパフォーマンスを上げる為には必要だと考えている。
だから、細かい日常の判断は部下に任せている。
そしてその判断の精度が高ければ高いほど、成果を出せる「確率」が上がる、そういう風な考えでチーム運営を行っている。
マネジメントとは確率を上げることだ。
高い打率を維持することだ。
もちろん良いときもあれば悪い時もあるけれど、長い目で見れば、打率が高ければチームは勝っていく。
純度を大事にする
でもここに「ダサさ」が紛れ込むと、判断の精度が鈍っていく。
「損して得取れ」ではないけれど、ダサさが混じるのであれば、僕はその数字を捨てるように部下には指示をする。
何よりも大事なのはメンバーの判断の「純度」なのだ。
部下の全ての行動を管理することは不可能だ、という前提から考えると、これは自明なことだと思う。
でも多くのマネージャー達は時にダサいことをしてしまう。
上司から追い詰められていたり、結果が出てなかったりすると、「仕方ない」「一回くらいなら大丈夫」と思って、この種のダサい仕事をしてしまう。
それは静かに部下に感染していく。
「ああ、ダサいことをしても良いのだ」という考え方が拡がっていく。
透明な水の中に、絵の具の黒が混じるように。
悪循環に陥らないために
こうなってしまうと、僕のマネジメント手法は崩壊してしまう。
部下に任せることができなくなってしまうからだ。
一旦このようになってしまうと、すぐにそれとわかるわけではないけれど、徐々にチームのスピードは下がっていく。
下手をすると、大きなミスや不正が起きたりする。
ミスや不正が起きると、マネージャーは性悪説に基づいて部下を管理しなければならなくなる。
あらゆることが心配になってきて、全ての判断をマネージャーが行いたくなる。
きっと、マネージャーの上司もそれを求めるようになるだろう。
こうやって悪循環に陥っていく。
窮屈でダサい低パフォーマンスのチームの出来上がりだ。
ダサい判断をしないことでチームへのエンゲージメントを高める
僕はメンバーのマインドをとても重要視している。
まさに感情の「波」のように、それは日々揺れ動いていく。
それもそれぞれのメンバーのそれぞれの揺れ方がある。
その揺れ方を悪い方向にしないことがマネジメントの鉄則だ。
というか、それだけやっていればチームというのは機能するといっても過言ではないと思う。
もう少しきちんとした言い方をすると、チームにおけるエンゲージメントを高める、士気を維持する、というような感じになるのかもしれない。
そしてそのエンゲージメントを高める為には、マネージャーへの信頼感が必要となる。
マネージャーがダサいと、士気は高まらない。
マネージャーがダサい判断をすると、簡単にチームというのはバラバラになる。
ダサいリーダーは信頼されない
よく言われることだけれど、リーダーが「ブレない」というのはこういうところに繋がってくるのだと思う。
ブレるリーダーは信頼されない。
これは僕風の言い方に直すと、ダサいリーダーは信頼されない、となる。
もちろんすべての仕事がカッコいい訳ではないけれど、誰もが明らかにダサいと思うような仕事をしないようにするだけで、チームのパフォーマンスを上げることはできる。
目の前の数字を取りこぼして叱責されたとしても、それでいいのだ、と思えるリーダーにメンバーはついてくる。
メンバーがついてきてくれれば、成果は上がる。
単純な事実だ。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
5年以上マネージャーをやってきて思うのは、真っ当なことをやっていれば成果は上がる、でもそれをやり続けるというのは結構難しい、ということです。
特にチームが不調な時には「ダサい仕事」への誘惑は強くなります。
多くのマネージャーはここで誘惑に負けてしまうようですが、それをくぐり抜けられるくらいの胆力がマネージャーにあると、チームというのはとても強くなります。
もっと言うと、そういうスタンスで仕事を継続できるようになるので、チームの好不調の波がとても小さくなります(高いパフォーマンスを維持できるようになります)。
あまり理解されないので表現が難しいのですが、個々人のバイオリズムの波をメンバーの数を増やすことで小さくしていく、その為にはそれぞれのメンバーがそれぞれの判断においてダサいことをしないという倫理観みたいなものを身に付けさせておく、ということが長期間のチーム運営には欠かせません。
たぶんそれが僕が言っている「いい仕事」という意味なのだと思います。
辛い状況であればある程、マネージャーの判断がチームに与える影響は大きくなります。
めげずに負けずにいい仕事をしていきましょう。