青筋立てても成果は出ない
「内向き」の職場では成果なんて上がるわけない
職場内で罵声が飛び交う。
叱責されている部下が上司の前で首をすくめている。
場合によってはモノが飛んだりもする。
恐怖政治だ。
この種の職場では、「怒られないこと」が最優先事項になり、その他のことは後回しになる。
上司の顔色ばかり窺うようになって、思考や行動がどんどん「内向き」になっていく。
当然成果なんて上がらない。
僕からしたら当たり前のことなのだけれど、未だにこの「当たり前のこと」がわからないマネージャーは多い。
本当にうんざりする。
でもこれは事実だ。
だから日本社会の生産性は低いのだ。
僕は心からそう思っている。
マネージャーが無能だから生産性が上がらないのだ
よく長時間労働の弊害が指摘されるし、それも大きな要因だと僕も思うのだけれど、低生産性の原因の根本のところには「仕事がつまらない」という単純な事実があるのだと僕は考えている。
仕事が面白ければ、別に長時間働いても苦にはならないし(もちろん限度はあるが)、成果も上がっていくだろう。
ではなぜ仕事がつまらないのか。
それは上司が無能だからだ。
マネージャーがマネジメントを知らないからだ。
怒鳴り散らすこと=マネジメントではない
怒鳴り散らすこと、大声を出すことをマネジメントだと勘違いしている連中が仕事をつまらないものにしている。
そしてそれを社会としてもある種容認してしまっている。
島国の閉鎖性と湿度の高さ。
同質性とウェットな人間関係。
そろそろそれを変えていかないか?
成果を出すことを最優先に考えないか?
内輪受けはやめて、世界と本気で戦っていかないか?
なぜギスギスした職場がデフォルトなのだろう?
生産性を上げる為には、たぶん今のやり方ではダメなのだ。
大して実力もないマネージャーが、たまたまの運でその席に座った人間が、偉そうにふんぞり返って、出来もしない妄言を叫んでいる現状を変えていく必要がある。
そういう上司に影響されて、同じように後輩に対して振舞っている先輩が跋扈しているような職場を変革していかなければならない。
ギスギスした職場がデフォルトである現状は異常じゃないか?
なんでみんな羊のように黙っているのか?
心を押し殺して、職場で「耐え続ける」ことが、「働く」ということなのか?
僕にはよくわからない。
好きなやり方で働いて成果を上げる
僕は自分がマネージャーになる前からこんな風に思ってきた。
どうしようもない上司の言うなんて無視して、自分の好きなように仕事をしてきた。
それによってたくさん嫌な思いもした。
酷い目にもあった。
でも、そういう下らない連中よりも高い成果を上げてきた。
上げ続けてきた。
歳月が積み重なると、だんだんと「ただ若さゆえに吠えている未熟な人間」ではなく、「有言実行」であるという風に見なされるようになって、僕はマネージャーとなった。
マネージャーになっても、色々な上司から色々なことを言われることは変わらないし、それを無視していることも変わらない。
成果を出し続けていることも変わらない。
個人単位ではなくチーム単位になっただけだ。
合理的に考えれば、それしか方法がない
僕は怒鳴らないし、叱責しない。
それは別に僕が優しい人間であるとか、良い人であるとか、そういうことではない。
人間は善であるとか、褒めれば伸びるとか、そういう思想を持っているからではない。
単純に怒鳴ったところで成果が上がらないと思っているからだ。
成果を出す為には合理的でないと考えているからだ。
長期的に成果を出す為にはメンバーの長所を引き出すしかなくて、それぞれの自由意思を尊重するしかなくて、僕は今のスタイルを取っている。
メンバーに尊敬されたいとか、好かれたいとか、そういう気持ちもない(全くないとは言えないが)。
恐怖政治では限界があると思っているし、短期的な成果はともかく、長期的には成果が上がらないというそれだけのことだ。
下らないマネージャーたちを横目に
青筋を立てている人は「我こそがマネージャー」みたいな面をしているけれど、僕からしたら、大した成果なんて上がっていない。
彼らは「自分がメンバーを奮い立たせているから何とか今の数字を上げられているのだ」、というようなことを宣うのだけれど、僕からしたら、そもそものアプローチ方法が間違っているのだ。
それはお前のパフォーマンスだろう?
自分がマネージャーとして一生懸命働いているということをただアピールしたいだけだろう?
僕は冷めた目でいつもそれを見ている。
ふざけたマネージャー
僕はいつも暇そうにしていて、暇そうだからメンバーたちも僕に話しかけてくる。
仕事のことも、そうじゃないことも。
それに対して冗談を飛ばしながら、僕は応える。
大声で笑ったりする。
そういうのが彼らには面白くないのだろう。
ただテキトーに働いていて、運だけで成果が上がっている、そんな風に見えるのだろう。
オレはこんなに真剣に働いているのに、部下をマネジメントしているのに、あいつは何もしないで、ただふざけている、舐めたやつだ。
でも、繰り返し言うが、僕のチームの方が成果が上がっているのだ。
それが事実なのだ。
負け犬の遠吠えにしか僕には思えない。
文句があるなら、その素晴らしいやり方で僕以上の成果を出してみろよ。
ポーズはもうやめよう
僕はポーズが嫌いだ。
真面目ぶるのも、真剣ぶるのも、一生懸命ぶるのも、本当にうんざりする。
大事なのは成果だろう?
結果だろう?
そういう変な生真面目さが、職場を窮屈にしているし、生産性を下げている。
引いては社会全体をつまらないものにしている。
僕は違う道を進む
「べき論」も「同調圧力」も「空気を読む」のも、結果が出るなら別に構わない。
でも結果が出ていないなら、それを疑うべきだ。
違うやり方を考えるべきだ。
前例踏襲は簡単だし、責任逃れができる。
上手くいかなければ、部下のせいにできる。
それを大声でアピールすればいい。
拍手。拍手。拍手。
僕は違う道を進むよ。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
コロナウイルスによって、大抵の仕事というのは「不要不急」であるということがバレてしまいました。
というか、元々自分の仕事に意味なんてないと思っていたことを改めて突きつけられてしまった、という感じの方が適切なのかもしれません。
それなのに、生きていく為にはそういう「クソ仕事」もしなくてはならない。
僕らはこんな風に思って日々仕事をしているのではないでしょうか?
自分の仕事が無意味であることを自覚しながら、それでも働かなくてはならない。
それも真面目そうに、真剣そうに振舞わなければならない。
僕はこういう考え方にうんざりしています。
どうせ自分の仕事に意味がないのであれば、せめてそれを楽しんでやればいいのではないか(楽しむ振りをすればいいのではないか、その方が成果も出るし)、というのが今回のテーマです。
人生というのは果てしない暇つぶしに過ぎません。
ラットレースから抜け出すことはできなくても、回っている滑稽な自分を笑うことは可能です。
もう少し気楽に生きていきましょう。