立ち話と座り話

立ち話が多いチームは健康度が高い

チームが上手くいっているかどうかを測るバロメーターの1つに、メンバー間で頻繁に「立ち話」が行われているか、がある。

先輩と後輩、上司と部下など、立場や職位を超えて、立ち話が気軽に職場内で行われていれば、そのチームは健康度が高いと言える。

一方、片方が席に座っていたり(大抵は先輩や上司が座っている)、全員が着席している会議のような「座り話」の方が多いのであれば、それは危険を示すサインだと言ってもいい。

今回はそのことについて書いていく。

ドライブ感と面白さ

アメリカ西海岸系の企業がカフェスペースを作ったり、バーを作ったりしているのは、必ずしもアイディアというのは職場内で生まれる訳ではないということが体感的にわかっているからなのだと思う。

机でうんうん唸っていても、素晴らしい着想というのは湧いてこない。

ある程度考え方の違う人たちが、立場に固執することなく自由に対話することで、アイディアというものは「面白く」なっていく。

その「面白さ」を感じる人が多くなれば、市場に出しても「面白い」と思う人が多くなる。

そんなドライブ感みたいなものを意図的に生み出そうとしているのだと思う。

フラットな立場で意見を言うことが不得手な日本人

日本企業もそれに倣って、そのような場所を用意したりしているようだけれど、個人的にはそれ程上手くいっていないように見える。

それは何というか「リラックスしよう」とか「リラックスした状態で話をしましょう」みたいな、変な力の入り方を日本人はしがちであるというのと、身内でない人と打ち解けた話をするのが下手、ということが関係しているのだと思う。

身内と外の人間を隔てる壁みたいなものが高くなってしまいがちで、身内だと近すぎ、外の人間だと遠すぎるのだ。

そして純粋な興味から発言するとか、私はこう思う、みたいなポジションを取ることも不得手であることもそれに輪をかけていく。

結果として、カフェスペースにおいても「いつもの」メンバーと「いつもと同じ」話をしてしまう(居酒屋で愚痴を言い合うのと大差はない)。

「立ち話」がアイディアを生んでいく

それではアイディアというのはグルーヴしていきづらい。

では、それを職場内で自然に生じさせる為にはどうしたらいいのか?

それが「立ち話」であると僕は考えている。

先述したように、僕たちは座って話をしようとすると、どうにも肩に力が入りすぎる。

形式に囚われてしまう。

会議なんてものはその典型だ。

今日はブレストです、皆さん自由に発言してください、なんて冒頭に言っていたとしても、顔色を窺って、当たり障りのないことしか言わない不毛な時間になってしまう(というか、ブレストを「ブレストします」と言ってやっている時点で終わっているのだ)。

いやいや、会議というのはそういうものだ、という考えもあると思う。

では職場内ではどうだろうか。

もう少しリラックスして話ができるだろうか。

僕たちには「身分感」が染みついてしまっている

例えば片方が座っていて、片方が立っているシチュエーションを想像してみて欲しい。

どうやっても「報告」感が出てしまうような気がする。

片方が上で、片方が下、みたいな「身分感」が出てしまう。

それではアイディアは生まれてこない。

仮に上司がとてもフランクな人かつ人格者で、建設的な議論をしようと思っていたとしても、これはどうしても生じてしまうものだと僕は思っている。

何というか、上司の意見は正しい(尊重すべきである)みたいな癖が体に染みついてしまっているのだ。

「対話」ではなく、「教え諭す」みたいになってしまう。

「好き嫌い」ではなくて「良い悪い」みたいになってしまう。

これを防ぐためには、自然と立って話をするようなシチュエーションを作らなければならない。

相手が構えない状態を意図的に作っていく

タバコを吸う人であれば想像しやすいと思うのだが(僕は吸わないが)、喫煙所での会話というのは立場を超えて話をし易いものだ。

不思議なもので上司部下というよりは、「喫煙者」というカテゴリーで話ができる。

あれをタバコの煙なしで行うにはどうすればいいのか?

それはマネージャーが「立ち話」を「仕掛ける」ことで実現できると僕は考えている。

職場内で立っている部下に向けてとか、会議室に向かう間の廊下でとか(コロナで難しくなってしまったけれど、エレベーターとか洗面所とか、そういう場面も有効だ)。

営業マンで外回りをするのであれば、先方へ向かって歩いている間とか。

(ジョブズのエピソードの中に「散歩」における対話というのがよく出てくるけれど、僕はこれはとても理に適ったものだと思っている)

とにかく、相手が構えない状態を作るのが重要だ。

「対話感」を生むために

説明が難しいのだけれど、僕たち日本人は真面目過ぎて、「雑談をしよう」と言うと「これから雑談を始めます!」みたいな変な意気込みが双方に生まれるので、それを悟られないようにダラダラと下らないことをマネージャーから言い出すのが重要だと僕は思っている。

ガードを下げさせるというか。

僕の場合は仕事の愚痴だとか、自虐だとか、そんなことから話し始めて、自分のアイディアをぶつけてみる。

最初の内は、相手もかしこまってしまうので本音が出てきづらいけれど、僕がそれに対してフラットに反応する人間であるということが理解されていくと、だんだんと「対話感」が出てくる。

それが浸透していくと、今度は部下同士でそういう話が自由に行われるようになってくる。

わざわざ「会議」というものを通さなくても、「企画書」みたいなものを作らなくても、アイディアが育っていく。

大事なのは面白いかどうかだ。

机から顔を上げて、職場を見回してみて欲しい。

あなたの職場で立ち話は行われているだろうか?

それではまた。

いい仕事をしましょう。


あとがき

年上を敬いましょうとか、上司を尊重しましょう、という文化は大切にすべきですが、ことビジネスにおいては、年上も年下も職階も関係なくて、ただそのアイディアが面白いかどうかが勝敗を分けます。

ただ一方で、僕たちにはそれ(儒教的価値観)が習慣のようにこびりついてしまっている

それ自体には善悪はないのですが、「その状態をデフォルトとして忌憚ないアイディアを集める為にはどうすればいいのか?」と考えたのがこの「立ち話」という概念です。

これはスタンディングデスクを導入するとかそういうことではなくて、立場とか年齢とか関係なく「気負わずにふらっと話す」状態を作り出したい、という思いから生じたものです。

究極的には意図せずにそれが自然と生じていることがベストなのですが、最初からそういう状態を作り出せる訳ではありません。

まずはマネージャーから仕掛けていきましょう。