マネジメントという専門職

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あらゆることに対応することができるという専門職

先日新聞を読んでいたら、「マネジメントは専門職になりつつある」というような趣旨のことが書いてあって、思わず膝を打った。

というのは、僕は「マネジメントはゼネラリストがやるものだ」とずっと考えていたからである。

その記事の内容は「管理職になりたくない人が増えている」「それは管理職があらゆることに対応できなければならないある種の専門職であるからだ」というようなものであって、何年も管理職をやっている僕は「そうだよなあ…」と思うことになった。

あらゆることに対応することができるという専門職。

何だか対義語みたいなものが同居しているのがマネジメントという仕事なのではないか。

今日はそんなことを書いていく。

日々の管理なんて大変の内に入らない

先日、後輩のマネージャーから、「管理職って疲れますね…」と相談を受けた。

その人はまだマネージャーになって3か月しか経っていなかったので、「いやいや、まだまだこれからだよ」というようなことを答えておいた。

彼はがっくりと肩を落としていたけれど、本当にそうなのだ。

マネージャーが大変なのは「そこから」である。

というよりも、日々の業務運営の「管理」なんてものは、大変の内に入らないと僕は思っている。

大変なのは「人間」である。

あらゆる思考や思想や価値観を持った人間達と否が応でも濃密に関わらなければならない大変さ。

それは時間を経れば経るほどボディーブローのように管理職の体を蝕んでいく。

その期間を超えてからが、マネージャーのスタートラインである。

相対化と矛盾と成熟

数々の人間達と交わる中で、自分が今まで考えていたものが相対化されていく。

軸は変わらずに持っているのだけれど、「ああ世の中にはこのような考えを持つ人が一定数存在するのだ」という場面を繰り返し経験することで、自分がその中の1点に過ぎないことを実感していく。

この経験がマネージャーとしての「幅」を生んでいくのだと思う。

絶対的な正解は存在しないし、仮にあったとしても、それは時間と共に変質していく。

そういう矛盾と折り合うことで、成熟が進んでいく。

それがマネジメントという仕事をやってきて思うことである。

外形的には示せない。でも…

これは計量的に示すことができない。

「マネジメント力」がどのくらいの数値かというのは、履歴書や経歴書に落とすことはできない。

でも、確実に差はあるのだ。

それは「懐の深さ」みたいなものであると僕は思っている。

先程の彼との話の続きで、「ウエノさんは何でも受け入れられるオーラみたいなものを纏っていますよね」ということを言われたのだけれど、それは経験を経たから得られるもので、それこそがマネジメントという仕事の専門性なのかな、と思うのである。

外形的に示すことはできないけれど、確実にスキルが必要な仕事。

それがマネジメントなのである。

自称に過ぎなくても

一言でいうと、それは「人間力」というものになるのだろう。

でも、「人間力」なんてどうやって高めていけばいいのか、少なくとも数年前の僕には思いもよらなかった。

ただ、数々の場面に遭遇することで、その経験を重ねる中で、確実に人間力は高まっていくのである。

もちろん、そんなものは「自称」に過ぎない。

マネジメントにどっぷりと浸かったことがない人には一生わからない感覚だろう。

でも、確実にあるのだ。

それを「マネジメントの専門性」という風に僕は呼びたいと思う。

無刀で立ち向かう

以前にも書いたことであるけれど、これは武道に似ていると僕は思っている。

武道は別に誰かに勝つとか、大会で優勝するとか、そういうことに意味を置いていない。

ただ自己を高めていく、というか、どんな事象が外部で起きていても、自分でいられる感覚を保つ、そこに価値を置く、というのが武道だと思う。

異種格闘技戦みたいなところに放り投げられた僕は、様々な武器を持って向かってくる人達とそれぞれ対峙することになる。

僕は無刀だ。

地位も肩書も関係ない時代で、僕という人間性だけで、そこに立ち向かっていく。

小技も必要だけれど、それだけでは戦えない。

もっと漠然とした「練られた気」みたいなもの、がマネージャーには必要なのである。

殺気を持って向かってくる人達を、武装解除していく行為。

「そこにどんなカラクリが?」と聞かれても、答えようのないもの。

僕はそれを書き留める為に、何回も何回も同じような内容のブログを書き続けている。

仕組みがわかれば、何にだって対応できる

相矛盾するようなこと、それすらも包摂するようなこと、がマネージャーには求められるのである。

そういう意味では「ゼネラリスト的スペシャリティ」はマネージャーには必要不可欠なのだとも言える。

僕はオールラウンダーである。

何だってできる。

ルールさえ聞けば、やったことのない種目の勘所がわかる。

それがマネジメント力だ。

時代遅れ? 言ってろ

「ゼネラリストは時代遅れだ」と、ゼネラルでない人は口々に言う。

大した専門性もない人に限って、「これからは専門家の時代だ」と言う。

侮るなかれ。

マネジメントは立派な専門職だ。

それではまた。

いい仕事をしましょう。


あとがき

マネージャーに成り立ての時の自分と、今の自分では圧倒的に成熟度が違う。

僕はそう思っています。

もちろんそんなものは計量不可能で、対外説明不能で、僕が勝手にそう思っているだけなのですが、歴然とした差がそこにはあるはずです。

僕はマネージャーになりたくなかったのですが、マネージャーを経験したことで、少しはまともな人間に近づけたような気がします。

そして僕は今の僕の方が好きです。

妥協も諦めも嘆きも絶望も自己嫌悪も全てひっくるめた僕が好きです。

結果として丸くなり、つまらなくなった僕は、そのつまらなさ加減に自信を持っています。

ふらついても倒れずに前に進みましょう。