個人の質を高めるのは難しい(だから組織で対応しよう)

UnsplashJungwoo Hongが撮影した写真

個人の質の向上は困難だ。だから。

今日は「マネジメントとは」みたいな話になる(予感がする)。

というのも、従来の僕が考えていたものと、今の僕が考えているものの乖離を埋めることこそがマネジメントの本質なのではないか、という気がしているからである。

それはどういうことか?

従来の僕は、チームの構成員(個人単位)の質を上げることが、チーム全体の質を高めることに繋がると思っていた。

もちろん、そこには組織としてどのように対応していくかという考えも含まれていたけれど、個人の質の向上もそれなりに意味があると考えていたように思う。

今は違う。

個人の質の向上は困難だ。

だから、個人の質の向上がなくとも、組織で上手くワークする為にどうしたらいいのかを考えるしかない

このような体重移動。

それがマネジメントであるような気がするのだ。

意味がわからないかもしれないけれど、とりあえず始めていこうと思う。

成長思想(幻想)

「個人はいつか成長するものだ」

これをこの稿では、「成長思想」と呼ぼうと思う。

僕はこのような成長思想を基に、多くのマネジメントの概念が構築されているような気がしている。

もちろん、それが完全に間違いとは言えない。

ただ、同時にそれを当てにしてはいけないとも思うのである。

「個人が成長するか否かというのは、マネージャーにはある種アンコントーラブルで、それが起きればラッキーくらいの感覚で仕事に取り組んだ方がいい」

最近の僕はそのように考えている。

個人の質が高まらないのは、マネジメントの怠慢なのか?

これは個人の質の向上を放棄したということではない。

諦めた訳でもない。

ただ、「難しいよね」という感覚なのである。

マネジメントにおける困難(苛立ちを含む)の大半は、このような「個人の質」に焦点が当たっていることから生じているような気がしていて、そこに意識を向けることはあまり有用ではないのではないかと最近の僕は考えている。

個人の質は高まらない。

でもそれはマネジメントの怠慢ではない。

やや乱暴な物言いではあるけれど、この言葉によって救われるマネージャーも相当数いるような気がしている。

というのも、個人の質の向上がなされないのは、マネジメントに問題があるからなのではないか、と考える人が大半だからである。

最低限の仕事はした上での悩み

もちろん、そのような要素がないとは言えない。

個人の質の向上に寄与できないマネージャーがいることは事実である。

ただ、今回の議論はそのようなレイヤーでの話ではない。

それは最低限できている、というのが前提で、でもチームとして上手く行っていない、それはなぜか、という壁にぶち当たっている人への話である。

そして、多くの場合、その責は自分にあるのではないか、と考えてしまう(考えるように仕向けられてしまう)ところに、マネージャーの苦悩があるような気がしている。

個人が成長しないのはマネージャーに問題があるから?

もちろん、その悩み自体はある種健全なものではある。

まだできることがあるのではないか、と考え、最善を尽くそうとすることは、確かに必要なことだ。

でも、それをやってもなお、個人が成長しないのはマネージャーに問題があると考える人はそれなりに多くいる。

僕は断言したい。

そんなことはないぜ?

アタマの切り替えを

僕はこの辺りで、概念の転換をした方がいいと考えている。

一旦、個人の質の向上を度外視して、頭から(成長思想を)排除して、それが仮にないとしたら、どのようにしたらチームが良くなるだろうか、ということを考えること。

そちらに頭を切り替えること。

これがマネジメントの本質なのだ、きっと。

そして、厳しい物言いにはなるが、組織として対応することを限界までやったとしても尚チームが向上しないのであれば、それは個人の質に問題がある、だから人事的に対応するしかない、僕はそのように思うのである。

それ以上のことはそれ以上のこと

これは責任放棄のように聞こえるかもしれない。

「無責任だ!」という非難の声も聞こえてくる。

その言い分はわかる。

というか、もし他者がそのような主張をしていたら、僕だって一緒にシュプレヒコールを上げるかもしれない。

ただ、である。

9年間の経験を経て、僕はメンバーが1人変わるだけでチームが劇的に良くなったという場面に立ち会ったことが何度かある。

それ以外の変動要因はなし。

となると、マネージャーにできることの限界があることは自明であるのではないか?

そして、我々マネージャーがすべきことは、成長思想に囚われるのではなく、そこにいる現有メンバーの能力をいかにして限界まで引き出すか、それによってどのようにチームとして成り立たせるか、ということまでなのだと僕は思っている。

それ以上のことはそれ以上のことである。

出来もしないことを他人に求めるなよ?

多くの部外者は、というか、内部にいる者ですら、成長思想こそがマネジメントの本質なのだと考えているようだけれど、僕はそれは本当の意味でマネジメントという仕事に向き合った経験がないのだろうな、と今は思ってしまう。

運やタイミング、メンバーの質、そのようなものにただ恵まれただけだろう?

それを一般化するのは、ちょっと安易すぎないか?

そのように思うのである。

個人よりも組織を。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

僕は組織と個ということを考える時に、いつもサッカーのことを考えてしまいます。

そして、その議論は永遠に平行線。

ただ、サッカーと会社が違うのは、選手(働き手)に流動性があるか否かという点です。

会社と同じように、チーム内の選手がずっと固定であるとするなら、そんなもの誰が見たいと思うのでしょうか?

どんなに優秀な監督(例えばペップ・グアルディオラ)であれ、そこで出来ることに限界を感じるのではないでしょうか?

今期のレバークーゼン(シャビ・アロンソ)の例を棚に上げて、僕はそんなことを考えています。

「限界まで」と「限界」を見極め、最善を尽くしていきましょう。