意味を授ける

現代における仕事の意味とは?

ビジネスは長距離走だ。

そこで高い成果を上げ続ける為には「意味」が必要となる。

意味を感じられなければ、高い強度で仕事をし続けるのは至難の業だ。

一方、これだけ「クソみたいな仕事」が溢れている現代において、仕事に「意味」を付与するのは困難であることも事実である。

仕事に対する動機が蒸発してしまった世界。

そこでは「仕事=メシのタネ」「私=社畜」という図式が当てはまってしまうのだろうか?

今日はそんなことを書いてみる。

僕には仕事に対するモチベーションはない

若手から「仕事に対するモチベーションが上がりません」という相談をされることが増えてきた。

まあそうだろうな、というのが僕のファーストインプレッションである。

正直なところを言うと、僕だって仕事に対するモチベーションは上がっていない。

でも高い成果は出せている。

その違いは何なのだろうか、と考えた時に、「意味」という概念なのではないか、と思ったので、それについて書いていく。

外的刺激は必要?

「モチベーション」「意味」

言葉のニュアンスの違いだけなのかもしれないけれど、個人的には大きく異なるものだと思っている。

それは「モチベーション」が変動率の高いものかつ内的な状態(心理状態)によって左右される、というイメージであるのに対して、「意味」は不動であり、感情によって左右されない、というものである、というように僕は捉えているからだ。

モチベーションは「やる気」に近いもので、刺激を与えなければ心理状態が活性化することがなくて、その外部刺激を常に必要としているようなイメージ。

意味はそうではない。

ただ、事実としてそこにあるもの。

これが「意義」となってしまうと、若干体重が乗ってしまうような感じがするので、やっぱり「意味」の方が適切だろう。

仕事に意味を感じられるかどうか。

もう少し深めの話をすると、自分がその仕事をしているという意味を感じられるかどうか。

それが仕事の質(パフォーマンス)を左右する。

「calling」と「job」

天職、という言葉がある。

英語であれば「calling」という概念になるのかもしれない。

要は「天に呼ばれる(天命)」「運命を感じる」みたいな感じだ。

これに対して「job」という概念がある。

これは「メシのタネ」というか、日々生きていく為の糧(その為の仕事)みたいな感じである。

この違いをしっかりと意識すること。

もちろん全ての仕事に対して、意味を感じながらする、というのは非現実的であるかもしれない。

ただ、時折自分の仕事に対して意味を感じられるようなことを混ぜ込まないと、それはただ「こなす」だけのものに成り下がってしまう。

そして現代は「意味」が蒸発してしまった時代でもある。

これをどのように授けるか(本当は自分で見つけるべきなのだろうけれど)。

これが次の話になる。

僕は話したいことしか話さない

営業においては、「セールス」「売る」というイメージがまだまだ強いように思われる。

それに対して僕がやっているのは、ただの「お節介」である。

僕は単純に、自分が面白いと思うものしか話さないし、逆に言えば自分で面白いと思っているので話したくて話している状態である(面白い話を聞いてもらいたい)。

そこで重要になるのは、「本質論」なのだと思う。

僕は誰よりも厳しい消費者として、自分の話の内容に対する批評を日々行っている。

「仮に自分がセールスを受ける側として、それを買うのか?」という評価軸を常に持っている。

「なぜそれが必要なのか?」ということを言語化し、それが必要であれば必要であることを説けばいいし、必要でなければ必要でないということを話せばいい。

そこには自然と「意味」が宿るようになる。

もう少し大きな視点で言うと、僕の話を聞く前と聞く後とでは、顧客の状況が必ず良くなるはずだ、という強い信念が僕にはあるし、その自信がなければ話さないようにしているとも言える。

僕は自分が売りたいものしか売らない。

それでも数字が上がる。

そこにはきっと「嘘」がないからだと思う。

結果として役に立っているということが「意味」

多くの営業マンは、僕から言わせれば、圧倒的に勉強量が足りない

そして自社の商品に意識が向き過ぎである。

僕は(信じられないかもしれないけれど)自社他社問わずフラットな状態でお客様とお話をする。

その中で出てくる問題に対して、必要であれば薬を出すし、そうでなければ「薬はまだいらないですね」と言う。

このくらい簡単なことである。

僕は町医者のように、色々な人と色々な話をしながら、問題を解決していく。

それが評判となり、顧客が自然と増えていく。

後付けにはなるけれど、結果的には地域の健康問題を(わずかかかもしれないけれど)良化しているはずだ。

これがたぶん僕が営業という仕事をしている「意味」なのだ。

知的リソースを集中させるあげること

現代という時代は忙しい。

情報も自分で調べられないこともないけれど、時間や意識を集中させないとそれが難しい場合もある。

その際に、その手間を省いてあげること。

選択する、ということだけに、知的リソースを集中させてあげること。

これが凄く大事なのだと思う。

ただ「ウケたい」だけ

正直ベース、成約するかどうか、というのは僕にはどうでもいいことだ。

ただ僕は面白い話を聞いてもらいたいのだ。

それは芸人さんの「ウケたい」という気持ちに近いものかもしれない。

そのようなことを僕は若手に話している。

そして外的刺激に頼るのではなく、自分の中で湧き上がる衝動みたいなものを見つけることが長距離走には必要なのだということを説いている。

良い意味でも悪い意味でも「純粋」な若い世代には、今のところうまく刺さっているようだ。

それではまた。

いい仕事をしましょう。


あとがき

「出世して、金を稼いで、いい家に住んで、いい車に乗って、いい女とヤりたい!」みたいな物欲色欲権力欲丸出しの若手は、現代には殆ど存在しません(絶滅危惧種に近い)。

そういう人達にとって、「働く意味」とは何なのだろうか?

それが提示できなければ、高い成果を継続的に上げるのは難しいです。

僕が思うのは、「清貧さ+社会貢献感」のようなもの(華美でなく、ハリボテでなく、本質的であること)を若手は欲していて、それを(仮に見せかけに過ぎなくても)提示できる会社なりチームが高い成果を上げている(上げることができる)、ということです。

SDGsを絵空事だと思っている時点で、旧世代は終わっています。

本当の意味で意味のある「いい仕事」をしていきましょう。