頑張らないスキル
頑張ることは美徳なのか?
何らかの不足や目標への乖離などが生じた時に、「頑張る」ことでその穴を埋めようとすることに対して常々疑問に思っている。
個人的にはその違和感は普遍的なものだと思っているけれど、どうやらそうではなく、どちらかというと少数派、いや、圧倒的少数派であるようだ。
頑張ることは美徳である、という概念が僕たち日本人には染みついている。
裏を返せば、頑張らないことは悪徳である、ということになるわけで、その「頑張らないこと」に対する風当たりは物凄く強い。
ここで言う「頑張る」という言葉は、効率性よりも精神性を重んじる風潮のことを指している。
僕は効率性を考慮した上で「頑張る」のは賛成であるが、効率性を度外視してとにかく「頑張る」ことには反対である。
今日はそういう話をしていく。
「量」で解決しようとする文化
日本は生産性が低い、とずっと言われ続けている。
そりゃそうだろうな、と僕は思っている。
ブラック企業を例に挙げるまでもなく、僕たちはその不足を「サービス残業」という「量」によって埋めようとする傾向が強い。
「質」を上げよう、という概念は持つことすらない。
同じやり方のまま、今の延長線上にある方向に向かって、より強く速く走ろうとすることで物事を解決しようとする。
立ち止まって、「今のやり方って効率的じゃないんじゃないか?」「もっと良いやり方があるんじゃないか?」と考えることはない。
脳死状態のまま、ただ盲目的に走り続ける。
そしてそれを「良いこと」だと思っている。
それを疑うことすらない。
むしろ立ち止まっている人を見て、「あいつは空気を読めない奴だ」であるとか「集団行動ができない奴だ」というようなレッテル貼りをする始末である。
集団脳死状態と謎の一体感
せめて、それで成果が上がるなら、まだ救いようがある。
「量」によって、その乖離が埋められているのであれば、話はもう少し建設的なものになる。
ただ現実はそうではないのだ。
結果として、成果が上がっていないにも関わらず、その原因を検証することもなく、「頑張った」という事実だけが残って、それを美談とする。
何となくの雰囲気だけの(疑似)一体感で次へと向かおうとする。
成果の検証や原因の究明なんてことを言いだすと、「野暮だ」と罵られる。
歩調を合わせられない奴だとマイナス評価を受ける。
それは現場だけに起きている事象ではなく、マネジメント層においても同様である。
集団脳死状態。
それでは生産性の向上など見込めるはずもないのだ。
頑張っているのに評価されないのはおかしいという主張への違和感
頑張る奴と頑張らない奴の例を挙げる。
頑張って成果が上がらない奴と、頑張らないけれど成果が上がる奴がいるとする。
評価すべきは後者である。
まずこの時点で異論がある人が出てくるのが日本社会である。
「頑張っているのに評価されないなんておかしい」と言い出す人が必ず出てくる。
むしろ「みんなが頑張っているのに、あいつは残業もしていないし、協調性もない」みたいなことで、後者をディスり出したりすることすらある。
生産性という概念はあるか?
では、次の事例はどうだ?
頑張って成果が上がる奴と、頑張らないけれど成果が上がる奴がいるとする。
どちらを評価するか?
たぶん圧倒的多数の人は前者を評価すると思う。
「頑張っているし、成果も上がっている、言うことなし!」というのが大方の意見だろう。
でもこと「生産性」という意味ではどうだろうか?
後者は頑張っていないのに成果が上がっているわけで、そういう意味では非常に生産性が高いと言える。
それを加味して評価できるマネージャーはいるだろうか?
僕には甚だ疑問である。
頑張ることは最優先事項ではない
もちろん程度問題ではあるだろうけれど、僕は後者をもう少し評価すべきであると思っている。
「生産性」という概念を評価尺度に入れなければ、「生産性」が上がるはずもない。
もちろんここには日本企業における「仕事の範囲」というものが明確になっていないことが影響していることは認めざるを得ない。
「成果という目に見えるものだけやっていていいのか! 他にも仕事はあるし、そういう縁の下の力持ちを評価しなければ、会社は良くなっていかないぞ!」
その気持ちもわかる。
だから全面的に成果のみをもって、生産性のみをもって、評価しましょう、ということを主張したい訳ではない。
もう少し「生産性」という概念を評価尺度に入れ込んだらどうでしょうか、その重みを増すような形にしたらどうでしょうか、というのが僕の提案である。
効率的なやり方を考えたり、要領よく仕事したりすること、「頭を使った仕事」を、適切に評価する仕組みを作らなければいけないのではないか、と僕は考えている。
大事なのは成果である。
頑張るか頑張らないかというのは、正直二の次である。
精神性だけでメシは食えない
僕は出来るだけ楽をして成果を上げたいと常々思っている。
頭を使うか体を使うかという違いに過ぎないのに、物理的に頑張っている(ように見える)奴を僕たちは評価しがちである。
それをもうやめませんか?
精神性や美徳や美談を否定するつもりはないけれど、それを重んじ過ぎた結果、もう30年も停滞し続けているのだ。
それを直視しよう。
そしてそうじゃないやり方を導入しよう。
それは何も過去を否定することではないし、あなたの頑張りを無下にするわけでもない。
ただ、もっと効率的かつ面白く仕事をしよう、という提案である。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
頑張ることは良いことです。
それは僕もそう思います。
でも、頑張らないことは悪いことでしょうか?
僕はそうは思いません。
「量」によって成功体験を得てしまった僕たちは、「質」への転換がいつまでもできないまま、あっという間に30年も経ってしまいました。
そして現在もその状態は続いています。
同調をやめ、自分の頭で考えること。
それを意識して仕事をしていきましょう。