タスクにしたら終わり
部下に気持ち良く仕事をしてもらうには?
部下に仕事をさせる時に、「タスクだと思われたら終わり」だと僕は思っている。
でもこう思われないようにするのは結構難しい。
このギリギリのラインを攻められるかどうかがマネジメントの勝敗を分けるのである。
マネージャーという立場上、色々な仕事を部下にさせなければならない。
その中には意に染まない仕事だってある(というか、殆どだ)。
それをどうやって気持ちよくやってもらうか。
それが今日の話である。
部下のテンションを上げる
タスクの対義語はテンションである、として今日は話を進めていく。
これはどういう意味かというと、「ああ面倒くさいな…」と部下に思わせるのではなくて、「ああ面白そう!」と思わせられるかが勝敗を決する、という意味である。
部下のテンションを如何に上げられるか。
それが同じ仕事をしてもらうのでも、大きなパフォーマンスの差を生むのである。
上司発の仕事はつまらないものばかり
「いやいや、そうは言っても、そんなに簡単にテンションなんて上げられないでしょ。仕事自体が納得性のないものばかりなんだし…」
そんな声が聞こえてくる。
それは確かにそうなのだ。
「自分発」の仕事ならまだしも、「上司発」の仕事は大抵つまらないもの・納得性の低いものばかりなのは事実である。
「それをどうやって腹落ちさせるのか?」というのが次の話となる。
自分自身を納得させる為に頭を捻る
ここで大事なのは、まず自分自身を納得させる論法を考える、ということである。
マネージャー自身が納得していないもので部下が納得する訳がない。
なので、そこに知恵を絞る。
正面からぶつかったとしても大抵は納得できないことばかりなので、変化をつけて、何か良い面を探る。
もしくは違うアプローチをすることで、何らかの意味を見出す。
これが重要なのである。
「過程込み」で話すことの重要性
これは一筋縄ではいかない。
結構頭を捻らないと自身を納得させることはできない。
発想の転換というか、コロンブスの卵的な考え方やアイディアが必要なのである(まあ、そんな仕事をさせるなよとは思うけれど…)。
「100%納得!」とはいかないまでも、ある程度の納得性が担保できたら、これを部下に話す。
それも逡巡した「過程込み」で話す(結論だけ言わない)。
これが重要なのである。
「結論だけ言えば部下が動く」というのは大間違いだ
多くのマネージャー達が勘違いしているのは、「結論だけを言えば部下が動く」と思っていることである。
というか、「組織というのはそういうものだ」という思い込みである。
組織というのはそういうものでは「ない」。
そのような見かけはしているかもしれないけれど、中の「人間」はそうではない。
みなそれぞれ感情を持ち、思考を持って仕事をしている。
腹落ちしていなくても、さも腹落ちしているかのように働くわけである。
ただこれではパフォーマンスは上がらない。
だから「過程込み」で話すのである。
部下を腹落ちさせることがマネージャーの仕事の本質である
これは正直手間がかかる。
結論だけ言えば秒で終わるところを、分単位、下手したら時間単位かかるからである。
ましてや、それぞれの部下に納得してもらう為には、その乗数分時間がかかる訳だ。
でも、この手間を惜しんだら成果を出すことはできない。
というか、たぶんマネージャーの仕事はここが本質なのだと僕は思っている。
納得性の低い仕事が降ってきた時に、それを自分なりに解釈し、意味を加え、部下に腹落ちしてもらうように動く。
これがマネージャーの仕事を分解したものである。
タスクでは人は動かない
ここには色々な要素が関係してくる。
上司との関係性、部下との関係性、自身の普段からの行動、価値観の伝播、などなど、あらゆることが関係して、この仕事を成すことができるのである。
これを「やれ!(組織がそう言っているのだから)」というタスクにしてしまうのが、殆どのマネージャーなのである。
タスクでは人は動かない。
ただのやっつけ仕事に転化されてしまうだけである。
これに気づけるかどうか。
それがマネージャーとしての大きな分かれ目になるのだ。
タスクをタスクでないものに変えられる人はごく稀である
世の中の大抵の仕事はタスクである。
これが最近僕が考えていることである。
これをタスクではないものに変えることで、仕事に対する見方が少しだけ変わるのではないか、でもそれをできる人はごく稀だよね、ただそれこそがマネージャーの仕事なんじゃないの?
そんなことを考えている。
あなたの存在意義とは?
多くの人達は漫然と仕事をしている。
僕にはそんな風に見える。
そして表面的な出来事やその時々の感情に流されて、あーだこーだ言っている。
ナンセンスだ、と僕は思う。
もちろん、上記した通り、大抵の仕事というのは意味がないもの、もっと悪く言えば「クソ仕事」の類のものである。
でも、それを額面上受け止めて、「つまらない仕事だ」と毎日のように愚痴をこぼして、何の意味があるのだろう、とは思うのである。
そこに何らかの自分なりのエッセンスを加えようとはしないのか?
どうにかして意義のあるものに転化したいと思わないのか?
そんなことを思ってしまう。
マネージャーがやらずして誰がやる?
ただ、多くの人には現実的にこれができないのも事実なのである。
だからそれをマネージャーがやる。
それで少しだけ仕事の意味や意義みたいなものは変えられるはずだ。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
僕がこのブログを書いているのは、マネージャー層が変わることで日本を変えられる可能性があるのではないか、という夢を持っているからです。
それは夢物語に過ぎないのかもしれません。
でも、ただ惰性で「社畜だ。社畜だ」と嘆いていても何も変わらないと僕は思うのです。
僕たちは「クソ仕事」を「畜生のように」繰り返すだけの存在なのでしょうか?
いや、きっとそうなのでしょう。
でも抗っていたいとは思うのです。
これからも(呆れずに)お付き合い頂けたら幸いです。