怒るコスパ
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怒ることは有用なのか?
ある一定年齢以上のマネージャーは、「怒る」ことで部下を纏めようとする傾向がある。
と書いてから、別に年齢は関係ないかもしれないなと思ったので(分布的には多いような気もするけれど)、ちょっと軌道修正して、「怒ることって有用なのか?」ということに内容を絞って話を進めていく。
要は、「怒るのってコスパ良いの?」ということだ。
結論から言うと、僕は「良くない」と思っている。
というか、怒りを使わなくてもたぶんマネジメントは成立する。
そんな中で、怒るメリットってあるのだろうか?
今日はそんな怒りとそのコスパについて書いていこう。
部活のあの感じ
「オレは怒っている」というマネージャーの表明によって、部下がピリッとして、チームが纏まる。
イメージ的にはこんな感じだろう。
部活のコーチが怒って、選手たちが背筋を伸ばす、あの感じ。
まあわからないではない。
でも、それによって失われるものもあることは認識しておく必要がある。
そしてそこにおける大事な要素は「温度差」だ。
当事者と第三者
ある出来事が起きたとする。
それについてメンバーがマズいなと思っているとする。
そこでマネージャーがその出来事について怒る。
メンバーとマネージャーが同じ温度で。
これは問題ない。
でも、考えなくてはいけないことは、それを見ている第三者(取り巻き)がいる、ということである。
温度差が大きいと、信頼度が下がる
当然ながら、第三者には温度差がある(当事者ではないから)。
その出来事に対して、ある種客観的に捉える為、そこには温度差が生じる。
これ自体はやむを得ないことではある。
でも、その温度差があまりにも大きいと、興醒めして(させて)しまうのだ。
結果として、マネージャーに対する信頼度が下がることになる。
もう少し詳しく言うと、「それってそこまで怒るような事象なんでしたっけ?」「というか、これでこんなに怒るなら、この前のアレは何でそんなに怒らなかったんでしたっけ?」みたいなことに繋がっていく。
ダブルスタンダードというか、トリプルスタンダードというか、クアドラプルスタンダードというか。
メリットとデメリット
怒りという温度の上昇は、周囲との温度差を生む。
そしてその温度差は違和感を生じさせる場合がある。
そのような目の前の怒りの対象者(複数の場合もある)をピリッとさせるメリットと、それ以外のメンバーの信頼度の低下というデメリットを天秤にかけた場合、デメリットの方が大きいのでは?
それが今回僕が言いたかったことである。
そして、それなら「怒りという手段は使わない方が良いのでは?」という話に繋がっていく。
以下、それについて話をしていく。
怒りと真剣
僕は滅多なことでは怒らない。
これは以前は意識的にやっていたのだけれど、最近はおじさんになってきたせいか、そもそも怒りという感情が生じにくくなっているのだ。
いや、仕事に対する情熱が失われているせいか。
要因はともかく、僕はマネジメントにおいて「怒り」という手法を使うことは殆どない。
それは前段で書いたように、あまりコスパが良くないと思うからだ。
自分が怒ることで、部下がシャキッとして、その後の成長に繋がる、なんて経験は僕にはない。
それは、(ちょっとしたニュアンスの違いかもしれないけれど)「怒り」と「真剣」は違うと思っているからかもしれない。
真剣である時に、怒りは必要なのか?
「怒り」というのは自分発信で、「真剣」は相手発信とは言えないまでも両者発信的な感じがある、と僕は思っている。
部下の為を思って怒る、というのは僕からすれば大きなお世話で、というかそこまで厚かましくなくて、というか別にそこまで興味がなくて、それもそれを「怒り」という表現形態を使ってやることに疑問があるのだ。
上手く書けないな。
部下のことを考える時に、怒る必要はなくて、真剣であればいい。
それが僕の言いたいことである。
そして真剣である際には、怒りは不要である。
敢えて「怒り」のような「雑味」を加える必要はない。
それが僕の思っていることである。
真剣であることを伝える為に怒りは不要だ
怒りという手法を取らなくても、部下のことを考えた話はできる。
それならその「怒り」のエネルギー分、怒らなければコストパフォーマンスは上がるはずだ。
もっと言うと、それは当事者間だけではなく、上記したように周囲にも影響を与えない。
そういう意味でも怒らないというメリットは大きいように僕は思うのだ。
というか、怒りという表現形態を取らなければ自分は真剣であるということを表現できないのであれば、それはマネージャーにも問題があるのではないか、と僕は思うのである。
部下を信頼していれば怒りはいらない
部下は馬鹿ではない。
マネージャーが真剣であるかどうか、真剣に仕事や部下に向き合おうとしているか、というのは、別に怒りを伴わなくても伝わるものである。
そこに信頼性を感じられないのであれば、そのマネージャーは部下をナメているということになるのだろう。
僕は部下を信頼している。
だからこそ怒る必要がない。
怒らなくても、その真意は伝わると思っているから。
それなら怒る必要なんてない。
そう僕は思うのである。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
怒るのは難しい。
そしてそれが相手に伝わるのはもっと困難である。
僕はそんな風に考えています。
自分が怒るかどうかというのは、相手にとって関係ないことである、というある種醒めた見方ができれば、怒るのが馬鹿らしくなってきます。
何というか、「気を遣って欲しい」というのがアリアリと見えるほど興ざめすることはありません。
怒りを使わず、真剣な話ができるようトレーニングをしていきましょう。