「全然足りねえじゃん!」ってオレも言ってみたい…(というか、言いたくもない)

UnsplashVidar Nordli-Mathisenが撮影した写真

言っちゃいけないけど、言いたい誘惑

昔の某企業において一般社員を管理する立場の人が、営業ノルマを達成していない部下に対して「全然足りねえじゃん!」と連呼するtiktokが僕のところに回ってきた。

当の本人達は真剣で、特に部下の方はめちゃくちゃに詰められているのだけれど、時間も空間も隔てた僕からすれば、そこに妙な可笑しみを感じる(とてもリズミカルだし)と共に、「そういう時代もあったんだろうなあ…」と思うことになったというのが、今回のテーマを書くきっかけである。

もちろん今だって、このようなパワハラは(大なり小なり、程度の差こそあれ)続いているのだろう(大半が地下に潜ったとはいえ)。

でも、少なくともそれが社会的に容認(黙認)されている雰囲気はなくなってきているように思う。

そして、「(絶対に言わないけれど)たまにはそういうことだって言ってみたいよな…」と思う時が、マネジメントという仕事をやっているとたまにある、というように僕の思考は繋がっていく。

今日はそんな愚痴めいた話だ。

はい! そこ! 止まりなさい!

現代という時代においては、部下を叱責することは殆ど禁じ手のようになってしまっている。

僕はそんな風に思う時がある。

叱責、というと言葉が強いかもしれないけれど、営業という仕事をやっている中で、目標が未達であればそれなりに責任を感じてもらいたいし、それに対して一言モノ申したい気分になる時がある、くらいの話である。

でも、それはなかなか難しい。

ちょっとでも道をはみ出せば、「はい、そこ、パワハラです! 止まりなさい!」と逮捕されてしまうのが現代である。

もちろん、言い方や伝え方は気を付ける必要はあるだろう。

人格否定に繋がるような物言いが言語道断であるのは言うまでもない。

でもさ、というのが今日の話である。

やっていない人にはやっていないって、時には言ってみたいよな。

何とかするのがマネージャーの仕事、だろ?

多くの無気力な部下がいる時、マネージャーにできることは限られている。

もちろんそれを何とかするのがマネジメントの仕事だろ、という言い分はわかる。

でも、現実はそんなに甘くはない。

そして限界もある。

組織は組織で、何か問題が生じれば、トカゲのしっぽ切りのように、すぐにマネージャーを糾弾するし。

他人の人生、他人の価値観に踏み込むのは違うけど…

僕は仕事としてマネージャーをやっている。

そこにはそれなりの矜持というかプライドはある。

でも、それ以上の話は知ったこっちゃないよね、とも思っている。

仕事に前向きに取り組むか否か、というのは、個人の人生における価値観に過ぎなくてそれを強要するのは違う、でも、それなら結果としてそれなりの対価にはなるよね、というのが僕の基本的なスタンスである。

多くの成果を上げる人には多くの対価を。

そうでない人にはそれなりの対価を。

それがアンバランスになっているから、何となくイライラするのだろう。

非対称性にイライラするだけ

そしてもう少し踏み込んだ話をすると、そのような前向きに仕事をしようとしない人がチームにいるとして、それによってチームの成果が思ったよりも上がらないことに対しての苛立ちは僕にはあまりないのである。

「そのせいでオレの評価が下がる!」と思っているマネージャーは多いが、僕はそのカテゴリーには入らない。

そういうイライラではないのだ。

何というか、そこにある狡さというか、非対称性みたいなものに苛立ちを感じるのである。

もちろん完全に公平ということは起こり得ないだろう。

でも、あんまりじゃないか、とは思うのである。

営業にはノルマがある。その達成度によって処遇が変わる。そりゃそうでは?

僕は営業という仕事をしている。

営業には当然営業ノルマがある。

ノルマ、という言い方が適切でないなら、目標値がある。

その達成度合いによって、処遇が変わる。

そんなの当たり前じゃないか?

嫌な気分くらいは味わって欲しいぜ

そういう意味では、今回のテーマに掲げた「全然足りねえじゃん!」なんて僕はきっと言いたくもないのだろう。

僕が言わなくても、会社がきちんと処遇を変えてくれる(調整してくれる)なら、それで十分なのだ。

ただ、それが為されないなら、苦言の一つくらいは言ってやりたいよな。

仕事をしないことによるダメージというか、嫌な気分くらいは味わって欲しいよな。

でも、嫌なことはハラスメントになってしまう

部下が嫌がること=ハラスメントである。

この種の人たちは嫌なこと(ムチ)がないと、働こうとしない。

でも、嫌なことは現代ではできない。

「それなら、どうしたらいいんだ?」と僕は思う。

自由には責任が伴う

働くも働かないも個人の自由。

努力するもしないも個人の自由。

それはそうだと思う。

そしてそれにマネージャーが叱責する権利なんてない。

それもそうだ。

ただ、それならそれなりの処遇の変化くらいはさせてくれないか?

わからなくはない。でもわかりたくはない。

プロスポーツ選手が成果を出せなくて、対価が同じなんてことは起こりえないだろう?

もちろんそこまでドラスティックでなくても、相応の変化くらいあってもいいのではないか?

働かない人には働かない理由があるのだろう。

それも理解できる。

ただ、その理由によって成果に差が出る、その成果の差は自分のせいではない、という論理展開は、わからなくもないけれど、ちょっと違うのではないか、とは思う。

愚痴ばかりになってしまった。

それではまた。

いい仕事をしましょう。

あとがき

仕事へのモチベーションはマネージャーが付与すべきなのか?

この質問に多くの人はYesと答えるのでしょうか、僕にはこれがずっとわからないままです。

モチベーションなんて他人から付与されるものではないのでは?

というか、自分の人生くらい自分で何とかしようとすべきなのでは?

日本社会は他人任せ過ぎであるように僕には映ります。

知らんよ、大人だろ?

袋叩きに遭いそうな言葉ですが、あまりにも子供じみた人が多く、そのような人たちとエンカウントする度にそう思ってしまいます。

最大限の努力はしますが、それ以上のことは僕には不可能です。

心を折ることなく、何とか生き抜いていましょう。