ドライな評価を
ドライに傾斜をつけた評価
今までこのブログでは「成果が大事」と書き続けてきたけれど、その評価方法についてはきちんと触れていなかったようにも思うので、今日は人事評価の付け方について書いていこうと思っている。
結論から先に書くと、「ドライでいいんじゃない?」というのが僕の基本的な考え方である。
そして、そこには「それなりの傾斜をつけた方がいい」という言葉も付け加えられる。
「ドライに傾斜をつけた評価」
それが僕が思う(ある種真っ当な)人事評価の方法である。
それでは始めていこう。
成果評価と人事評価
冒頭、「人事評価」という言葉を使ったけれど、この意味についてもう少し精緻に解説をした方が僕が言いたいことがすんなりと伝わるような気がしたので、以下にもう少し詳しく書いてみる。
今回の人事評価という言葉の意味は、成果評価という意味合いが非常に強いものである。
それは昇格・昇進に関わるような人事評価とはちょっと違う。
プロセス面であるとか、その人のパーソナリティであるとか、再現性であるとか、そのようなものはあまり加味されず、「成果そのもの」に対する評価のことを今回は書いていきたいと思っている。
というのも、この辺の概念が人事評価においてはごちゃ混ぜになっているような気がするからである。
もちろん、それぞれの会社の考え方によって、評価方法は異なるだろう。
でも、僕が感じるのは、成果以外の項目(上記したようなプロセス面など)のウェイトが大きすぎないか、ということである。
もっと言えば、成果が及ばない人たちに対して、下駄を履かせ過ぎていないか、ということである。
むしろ「成果を基に評価をつける=非人道的(非情)」というイメージすら帯びているようにすら感じる。
それってやっぱりおかしくないか?
それが僕が今回言いたいことである。
プロセス面は副菜程度でいいのでは?
「いや、そうは言っても、その成果をもたらすような日々の行動の良し悪しは評価項目に入れるべきではないか?」
そのような反論が想定される。
言っていることはわからなくはない。
だから、もちろん、そのようなプロセス面を加味するという判断はアリだと思う。
でも、そのウェイトはあくまでも副菜程度(もしくは小鉢程度)にしておく方が望ましい。
というのも、「仮にプロセス面が良いという評価をつけるとして、ではなぜ成果が出なかったのか?」ということが問われる(べきだ)と僕は思うからである。
プロセス面は日々の仕事の中で修正すべきもの
営業で言えば、「顧客対応も〇、架電件数も〇、事務作業も〇、ただ成果は×」という担当者は結構いる。
これを「よく頑張っているね」と評価したくなる気持ちはわからなくはない。
ただ、同時に成果が出ていないのも事実なのである。
だから「プロセス面が良いはずなのになぜ成果が出ないのか」については、きちんと部下と対話を行い、成果評価については厳格に付けるという旨を伝えることが重要であると僕は思う。
そして、それは何も人事評価時期でなくても構わない(というかその方がいい)。
日々の1on1の中で、修正すべき項目であるように僕には思える。
そうなのだ。
多くのマネージャーは、人事評価などの節目の時くらいしか部下との面談をしない。
「している」と主張する人も、業績の進捗状況のような話しかしていない。
その過程をすっぽかして、人事評価の時期になって、「いやプロセス面が良いよね」というのはちょっと違うように僕は思うのである。
成果が出ない「良いプロセス」とは?
繰り返すが、これはプロセス面が大事ではないということを言いたい訳ではない。
プロセスは成果を出すためには重要なものだ。
でも、それはあくまでも成果を出すための過程に過ぎない。
そして、成果を出すための過程が良いという評価をつけるならば、なぜそれが成果に結びついていないのかについてはきちんと吟味すべきなのだ。
そういう意味では、僕の成果評価というのはドライなものになる。
成果という数字を基にした簡潔なものになる。
それでいいのでは?
僕はそう思うのである。
傾斜をつける
そして、ここに「傾斜」という概念が加わってくる。
給料を減らすことは難しいけれど、誰かに多めに給料やボーナスを支払うことはそこまで難易度が高くない。
だから、評価にもそれなりの傾斜をつける。
結果として、貰える給与(や賞与)に差が付くことになる。
もちろん、働くことにおいて、カネがどこまで重要なのかという議論はあると思う。
そこに囚われ過ぎることは馬鹿らしいと僕も思うけれど、自分のパフォーマンスを測定する1つの目安にはなる。
それによって、次の期や将来にどのように仕事をすべきなのかということも考えられるようになる。
馬鹿らしさの排除
良い時も悪い時も、それを実感すること、顧みることは、大事なことである。
結果として、僕の人事評価は「ドライに傾斜をつけた評価」となる。
これは「好き嫌いを排除する」という面でも有効だ。
別に好きでも嫌いでも、合っても合わなくても、どうでもいい。
僕の仕事は成果を出すことで、部下の仕事も成果を出すことだからだ。
そして、成果を出せば、どのような部下でも評価すればいい(これは冒頭にも書いたように、人事評価ではなく成果評価だからだ)。
その方がシンプルだし、結果として、チームのモチベーションも維持されると思う。
やったものが報われず、やらなくても害はないような制度ほど馬鹿らしいものはないと僕は思うから。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
情のある(と言われる)人。
本当に?
僕はいつもそう思います。
本当の情(優しさ)というのは甘さではないのでは?
そして自分が嫌われたくないだけの保身ではないのでは?
僕はAIのように、機械的に評価を付けます。
成果は成果。
プロセスはプロセス。
非情は僕にとっては誉め言葉ですらあります。
というか、日々の仕事において情の部分を疎かにしているヤツが何を言ってんだ?
優しさと甘さは違います。
それは公平性を担保することにも繋がります。
ドライに傾斜をつけた評価をしていきましょう。