認めと称え
上下関係と心理的安全性
昨今の職場に足りないものは「認めること」と「称えること」なのではないか?
そんなことを最近考えている。
これは「褒めること」とはちょっと違う。
もちろん、「褒めること」も大事ではある。
ただ、「褒める」という行為は、どうしても上下関係を想起させる。
上の者が下の者を褒める、というように。
それでは対話は成り立ちにくいし、対話が成り立たなければ心理的安全性は確保されづらくなる。
そこで僕の頭に浮かんだのは、「では認めるや称えるではどうか?」ということである。
確かに「認める」という行為も上下関係を孕んだものと言えるかもしれない。
でも、「褒める」よりは対等な関係に近いようなニュアンスがあるような気がする。
また、「称える」はむしろ自分がやや下の立場にあるようなイメージを喚起させる。
そんな「認め」や「称え」をマネジメントに取り入れたらどうだろうか、というのが今日の話である。
それでは始めていこう。
タテ社会における心理的安全性の確保とは?
「マネージャーとメンバーという関係性の中で、心理的安全性を確保する為にはどうしたらいいのだろうか?」
それが最近の僕の問題意識である。
それもこれを日本社会というある種のタテ社会で実現する為にはどうしたらいいのだろうか?
どのような発言も、「下賜」のようになってしまうあの感じ。
もちろん、僕程度ではそこまでのインパクトはないのだけれど、もう少し偉い人からの発言だと、そこに意見をしたり、疑問を呈したりするのは明らかに難しいあの雰囲気。
それを変える為にはどうしたらいいのだろうか?
問い返しが生まれるような状況を作る為には?
僕は以前「問い返しに慣れよう」ということを書いた。
これはマネージャーとして、部下から問い返されることに慣れていかなければならないのではないか、ということである(詳しくは以前のブログをご参照)。
ただ、そうは言っても、部下が問い返してくるような(ある種自由闊達な)状況が自然と生まれる訳ではない。
ましてや、現在がそのような環境でないなら尚更である。
その前段として、今日の話である「認め」や「称え」をやってみたらいいのではないか?
そんなことを考えている。
待つのではなく、見に行く
これは部下の行動を「見に行く」動きである。
どうにもマネージャーの多くは部下から(報告等を)「献上」されるのを待っているようだけれど、まずそれをやめる。
自ら、能動的に見に行くのである。
そこにある部下の行動を「認め」たり、「称え」たりする。
それだけで職場の雰囲気は大きく変わるように思う。
そして、その「認め」や「称え」が、長期的視野に立った行動や、チームプレイの為に行われた行動に対してであるなら、その効果はより大きくなると思っている。
現在の職場における行動へのアンチテーゼ
これは現在の職場における行動の多くが、短期的視野に立っており、かつソロプレイであることに対するアンチテーゼでもある。
もちろん、自身の成果目標達成の為に短期的利益を追うことは悪いことではない。
でも、それだけだと、それもチームの全員がその動きばかりをすると、どうしたって雰囲気が悪くなる。
結果、互いが互いを非難するような事態に陥ってしまう。
そんな状況の中では「心理的安全性」なんて確保できるはずがない。
むしろ逆効果ですらある。
その流れを変える。
その為には、マネージャーが率先してそのような動きを認めたり、称えたりしなければならないのだ(もちろん、自ら実践するのが大事であることは言うまでもない)。
カジュアルでOK!
では、具体的にこの「認め」や「称え」はどうやったらいいのだろうか?
そんなに難しく考えることはない。
軽いタッチで言えばいいのだ。
「あれ良かったね」とか、「それいいね」とか。
その程度の会話でいいのだ。
別に肩肘を張る必要はない。
でも、それすらも今の職場には失われているような気が僕はしているのである。
超コスパ思想
「直接的な成果に繋がらないものは評価に値しない」
そのような超コスパ(タイパ)思想が、(特に若手の間には)蔓延しているように僕には思える。
繰り返すが、その行動自体が間違っている訳ではない。
でも、僕が言いたいのは、それ以外にも良い行動はたくさんあるし、そういうものもきちんと認めたり称えたりしていこうね、ということである。
そして、その為には部下と対話する機会を増やさなければならない。
優先順位を
僕は1on1をずっと推奨しているけれど、「忙しくてできない」という反論がその度に出てくる。
気持ちはわかる。
「でも、マネジメントにおいて1on1よりも重要で効果的なものって何なのか?」とも思ってしまう。
それって優先順位が逆ではないか?
というか、優先順位が付けられていないから、忙しくなってしまうのではないか?
マネジメントは優先順位を付ける仕事でもある。
それなのに自分自身が出来ていないとしたら、それはかなりマズい事態なのではないか?
僕はそのように思うのである。
ちょっとしたことで職場は変わる
認めと称え。
ちょっとしたことである。
でも、そのちょっとしたことが今の職場には足りていないし、それが戻るだけで、大きな影響を及ぼすことができるのだ。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
同僚を認めたり称えたりすること。
それが現代の職場には圧倒的に足りていないような気がしています。
皆自分のことで精一杯。
それはよくわかります。
でも、それだけではやっぱりダメだと僕は思います。
いい仕事をし、いい仕事を称えていきましょう。