一緒に働きたい上司像とは?
あなたはあなたの下で働きたいですか?
マネジメントには色々なパターンがある。
チームの状況やメンバー構成によって、自分が前に出た方が良い場合や、後ろから支援した方が良い場合がある。
例え同じチームであったとしても、その成長具合によっては、そのスタイルを変えていくことも検討することが必要となる。
理想的なチームを作ることが先にあるのか、現実的なチームを作ることが先にあるのか、によっても、マネジメントは変わってくる。
そして、もう1つ、マネージャー自身の過去の経験がある。
自分が別のマネージャーの下で働いていた時にどのように思っていたのか、やり易かったのかそうでなかったのか、ということも関係してくる。
もしあなた自身があなたの部下であったら、部下から見たあなたはどう見えるだろうか?
今日はそんなことを想像しながら書いていく。
自分が働きやすいチームを作る
僕は上司が放任型のマネージャーである方がやり易かった。
自分で仕事のハンドルを握って、好きなように、やりたいようにやるのが僕は好きであるのだ。
一方、過去の自分の成功体験みたいなものを押し付けてきたり、本社から言われたことを鵜呑みにしたりするようなタイプは大嫌いだった。
強権的であれば尚更だった。
こうやって書いてみると、僕の現在のマネジメントスタイルは過去の僕の経験が思いっきり反映されていることに気付く。
もちろんチームの状態に合わせて、その関与の度合いは調整しているけれど、「理想のチームを作ってくれ」と言われたら、僕はメンバーが思い思いに動くようなチームを作るだろうし、それぞれに仕事を任せるようなマネージャーとなるだろう。
もう少し平たい言葉で言うと、僕は自分が働きやすい、一緒に働きたいと思うマネージャーを演じているのだ。
そして嫌いだったマネージャーを反面教師としている。
あなたはどうだろうか?
メンバーの意向に合わせるのではなく…
ニュアンスがうまく伝わるか自信はないけれど、これは「メンバーの意向に合わせる」ということとは微妙に異なるものだと僕は考えている。
もちろん上記したように、メンバー構成によって、チームマネジメントの手法というのは変わっていくし、むしろ変えていくべきである。
ただ、仮にそのやり方によってメンバーから不満が出たとしても、それに無理やり合わせる必要はない、ということを意味している。
話は聞くけれど、決めるのは自分である。
チームの運営方針を決められるのがマネージャーの唯一の特権
マネージャーは色々な嫌なことや大変なことがあるけれど、少なくともチームの運営においては自分の好きなようにすることができるし、たぶんそれが唯一と言ってもいいくらいの特権だ。
わかり易く言うなら、(同じ)失敗をするなら、自分のやりたいようにやって失敗した方が良い、ということになる。
あまりにもメンバーの話を聞きすぎて、彼らの働きたい上司像を演じ過ぎてしまうと、それは本来の自分と大きくかけ離れてしまうことになる。
それではたぶん自分も働きづらいし、本来の力も発揮できないだろう。
どうせ失敗するなら
あまりにも自分の理想像に拘り過ぎるのも、それはそれで良くないことではあるけれど、どこか自分の中心の部分に「理想的なマネジメントスタイル」を持っていないと、仕事自体が面白くなくなってしまうので、それは保持したままの方が良いと僕は思っている。
どうせ何をやっても、どうやっても、失敗したらその責任を取らされるのだ。
それなら、自分が効果的であると信じるやり方をやった方が良い。
独りよがりにならない程度に、チームの状況やメンバーの個性を尊重しながら、そうは言っても自分のやりたいようにやる、このバランス感覚がとても重要になる。
そしてその拠り所になるのが、今回のタイトルでもある「一緒に働きたい上司像」を想像することになるのだ。
上司は嫌われるもの。だったら自分が働きたい上司を演じればいい。
身も蓋もない言い方をすると、仮に完璧なマネージャーを遂行できたとしても、不満は必ず出るのだ。
上司はそもそもからして嫌われるものなのだ。
神のように素晴らしい人であっても、それを避けることはできない。
それならせめて、自分が働きたいと思う上司像を演じてみればいい。
僕は最近そんなことを考えている。
過去の自分が今の自分を見てどう思うか?
僕がつらつらとこのブログに書き殴っているいくつかのキーワードは、たぶん僕が理想としているマネージャー像のエッセンスであるのだと思う。
もちろん人間というのは、その時々の状況によって変わっていく生き物であるとは思うけれど、その根底に何か芯のようなものがあれば、大きくハズレてしまうことはないだろう。
実際問題として、現在の僕は部下である想像上の僕自身と一緒に働きたいと思えるレベルには到達していないにせよ、それこそ駆け出しの頃に比べればだいぶマシにはなってきたと思っている。
好かれることはなくとも、嫌われることはないと思う。
日々の運営の中で、僕はかつての冷めた自分を想定して、その自分が今の自分を見ているとしたらどのように思うのか、ということを想像している。
外野は色々なことを言うし、その中には批難も含まれている。
でも、過去の自分に嫌われることほど辛いことはないのだ、きっと。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
会社で管理職として働いていると、「つまらない大人になっちまったな」とふと思う瞬間があります。
そんな時に、僕は暗い目をした過去の自分を思い返してみたりします。
そこに立っている過去の自分は今の自分を見てなんて言うだろうか?
多分に自己弁護的な要素はありますが、「いやいや、そうは言っても、よくやっていると思うよ」と言ってくれるような気がするのです。
そういう仕事をこれからも僕は続けていこうと思っています。
引き続きお付き合い頂けたら幸いです。