フィジカル・フィジカル・フィジカル

健康が一番

中間管理職として大事な能力に「体の強さ」がある。

敢えて言及されることはないと思うけれど、何だかんだ言ってこれがなければ中間管理職は務まらないと思っている。

というのは、日本企業における中間管理職の仕事というのは、言わば「何でも」であるからである。

労働基準法的にどうかとは思うし、若干時代錯誤的ではあるけれど、まだまだ「課長が何とかしろよ」的な、「ケツを拭くのは課長だろう?」的な、暗黙の命令みたいなものがあって、それは勤務時間だけで済ませられるものではないのが現実である。

そして昨今のようなパンデミック環境においては、何はなくとも健康を維持し、会社に通うこと、そこにいること、というのはとても重要な要素でもある。

健康が一番、みたいな話になりそうだけれど、今日はそんな話をしていく。

労働基準法的な問題はさておき

社会人になる前までは自分が体が強いと思ったことはなかったけれど、社会人として働いてみると、案外強い部類であることに気付くことになった。

毎日会社に行くことが偉いとか、休まないのが良いということではなくて、単純に「社畜耐性」が僕にはあるということがわかったのだ(たぶんメンタルも含めて)。

もちろん現在の労働環境においては、休暇というのは必ず消化すべき事項であるし、勤務時間についても適切に管理すべきである、というのは重々承知している。

そして、日本の管理職というものの仕事の範囲が明確に定められていないことにも僕はかなりの疑問少しの憤りを持ってはいる。

ただ、残念ながら毎日の仕事は厳然としてそこにあるし、そのような現実というのは一朝一夕で変わるわけではない。

それはリアルにこなさなければならないものであるし、それをこなさなければならないのは誰なのかという議論になる。

課長だろう?

というのが、リアルベースでの答えとなるのだ(僕はそれを良いとか正しいとかは全く思っていないけれど)。

その時に、「倒れない」ということは結構重要な要素なのではないか、ということを最近思うわけである。

他人は他人、僕は僕

断っておくが、これは別に誰かに強要するような話ではない

隣のマネージャーが倒れようが倒れまいが、僕には関係ないし、それに対して「あいつすぐに休みやがって…」とかを思うわけではない(こうやって敢えて言明すると、思っていそうだけれど、本当に思っていない)。

ただ、マネージャーの仕事というのは、そういうものなのだろう、ということを何となく感じている、というだけである。

そこにいることの重要性

普段は何の問題もない。

ネージャーがいようがいまいが、あまり業務に影響はない。

ただ有事は別だ。

何かコトが起きると、それは必ずマネージャーに話が回ってくる。

それに対処する為には、何はなくともフィジカルが重要なのである。

取り敢えずそこにいて、その問題に対処できるような状態を常に保っておく必要があるのだ。

ジョブ・ディスクリプションを明確にすれば解決する問題では?

これは結構センシティブな話であると思う。

女性管理職が増えない1つの要因であるとすら思う。

以前にも書いたことではあるけれど、本来的には中間管理職であっても、その職務内容や職務範囲というのは明確に定めるべきで(ジョブ・ディスクリプション)、ある程度のバッファーはあるにせよ、それがあれば、もっともっと女性の管理職というのは増えていくだろう、というように僕は思っている。

そしてそれは女性のみならず、男性にとっても大事なことであると思う。

それは今回のタイトルとは矛盾するようだけれど、「そこにいる」ということ自体には何の意味もないからである。

フィジカルが強い奴が偉い、なんてことはない。

仕事を仕事の範囲の中で適切に行えばいいのだ。

それに基づいて対価が定められればいいのだ。

おかしいのは承知上で

特に昨今のようなパンデミック環境においては、だれがコロナウイルスに感染したっておかしくはないわけだ。

インフルエンザでもそうであるけれど、そのような体調不良状態で無理に会社に来るほどはた迷惑なことはない。

でも残念ながら、日本の中間管理職というのはそうも言っていられないのが現実で、それは「おかしなことですよ」ということをきちんと言っていかなければならないのだと思う。

当然ではないですよ?

この辺のニュアンスはなかなか表現しづらい。

もう少しドライに仕事をしたい、ということになるのかもしれない。

マネージャーには部下がいて、その責任を取ることに対して、僕は何の異議もない。

でも、何というか、その範囲は無限ではない、とも思うのである。

僕だって人間なので、調子の悪い時はあるし、気分が乗らない時だってある。

ただたまたま体が強いので、毎日会社に来ることができている訳である。

「でも、それって当然ではないよね?」とは思うのだ。

ボランティア・ワークとは言わないまでも、ある程度のグレー領域の仕事が存在し、それにマネージャーは対処すべきである、というのも理解できる。

「ただ、それは所与のものではないよ?」ということは理解してもらいたいのだ。

もちろん、そんなのは願望に過ぎない。

わかっている。

でもね、というのが今回の話である。

それではまた。

いい仕事をしましょう。


あとがき

善意で成り立っているものをもう少し明文化したり、対価を払ったりすべきである。

そんなことを思うことがあります。

日本のサービス業の生産性が総じて低いのは、この部分(ボランティア・ワーク分)を対価として消費者から徴求していないからです。

僕たちは消費者として求めすぎていて、生産者として求めなさ過ぎています。

そうやって自分達の首を自分達で絞め続けています。

それはもうやめませんか?

僕はもっとドライに仕事をするべきだと思っています。

契約と明文化。

ギスギスしたっていいじゃないですか?

どんどんギスギスしていきましょう。