不機嫌な国でマネジメントをする大変さ
カリカリした人ばかりでウンザリするぜ
働いていると、たくさんの不機嫌な人に出会う。
「なぜ皆こんなにカリカリしているのか?」
本当にそう思うくらい、皆一様に不機嫌である。
これは何も社内に限った話ではない。
通勤途中、外回りをしている街中、昼食を食べている時、その他諸々、あらゆる場面において機嫌の悪い人に出会ってしまう。
その度に本当にゲンナリとした気分になる。
まあ、気持ちはわからなくはない。
確かに働いていると色々な嫌なことが起こる。
それに対して苛立ってしまうことも理解できる。
でも、一方で、そのような苛立ちを自分の中で処理できていない(処理しようとしていない)ことも関係しているのではないか、とも思う。
周囲の人間が自分のことを気遣ってくれるのが当然だと考えているような人間たち。
自分の機嫌は自分で取るべきなのでは?
今日はそんな話である。
人や物に当たるな
何か嫌なことが起きると、人に当たったり、物に当たったりする人がいる。
いや、いるというか多い。
その度に、「それってどういうアピールなん?」と思ってしまう。
気持ちはわかるけども…
確かに、同情の余地はある。
その事象がその人を怒らせるのは当然というか、確かにそりゃ酷いよねと共感したりもする。
でも、だからと言って、その生の感情を何の関係もない同僚やモノにぶつけるのは筋違いなのではないかと思ってしまう。
そのような不機嫌の連鎖によって、職場環境(社会環境)は更に悪化していくのではないか?
僕はそのように思うのである。
怒りと共生を
もちろん、全ての怒りの感情を100%自分で処理しろとまでは思わない。
僕だってそこまで出来た人間ではないから。
でも、せめて半分くらいには減じることは必要なのではないか?
もっと言えば、そのような怒りと共に生きることに慣れる必要があるのではないか?
そんな風に感じてしまう。
チーム外から持ち込まれた不機嫌なんて知らんがな
マネージャーという仕事は、このような不機嫌な人たちと仕事をするということを意味する。
たくさんの不機嫌が持ち込まれた状態で仕事をするということである。
もちろん、その不機嫌の原因が例えばチームなどの内部にあるのであれば、僕にも改善の方法を練ったり、何らかの対策をしたりする余地はあるようには思う。
でも、そうじゃない時、その不機嫌の原因が例えば家庭などの外部にあるのであれば、それは僕にはある種どうしようもできないことであるようにも思う。
ただ、現状においては、そのようなことも含めてケアしなさい、と言われているような気がするのだ。
だからこそ、マネージャーは罰ゲームと言われるのではないか?
そんな風に思ってしまうのである。
お前らの機嫌を取るのもオレの仕事なの?
仮にマネージャーの仕事が、本当に仕事におけるマネジメントだけであるのであれば、ここまでの事態にはなっていないはずだ。
それ以上のことを求められるから、それも当然だと言わんばかりにやらされるから、皆管理職が嫌になってしまうのだ。
実現不可能だとは思うけれど、想像してみて欲しい。
ある程度の節度を持った「大人」たちが集まったチームであれば、マネジメントという仕事の面倒くささはだいぶ減じられるはずだろう?
そうじゃないから、職場にたくさんの「子供」たちがいるから、僕たちの仕事はとても大変になっているのである。
部下の機嫌なんて知らんよ。
働くというのは、必要最低限の状態を備えた状態で会社に来るということではないの?
方々から批判を浴びそうなそのようなことを、僕は思ってしまう。
入学試験(足切り)くらいして欲しいぜ
ウェットな昭和時代から令和になって、表面的にはそのウェット性は薄れてきたように思う。
飲み会や社内行事の減少、その他諸々によって、職場内の人間関係は希薄化している。
僕はそれはある種望ましいことなのではないかと考えている。
別に職場で仲良くする必要なんてないから。
ただ、今一つ理解できないのは、そうであっても管理職は部下との関係性をある程度ウェットにしておきなさい、というような考え方についてである。
「メンタルケアも含め、部下が快活に働けるように支援するのがマネジメントの仕事だろ?」というような風潮。
まあ理解はできる。
でも、それってやらせ過ぎではないかとも思ってしまう。
というか、正確に表現するなら、出場資格がある人(最低ラインをクリアした人)であれば、そのようなケアをすることもやぶさかでないと僕は思うけれど、そうじゃない人は足切りというか、見切りを付けることも大事なのではないかと思ってしまう。
それを十把一絡げにして、誰に対しても同じようなマネジメントをするべきだ、それがマネージャーだろ、というのはとても乱暴であると僕は思う。
福祉はマネージャーの仕事ではない
表現は明らかに適切ではないと思うが、福祉は僕らの仕事ではない。
もちろん、程度問題ではある。
ただ、度を越えた人がいるのも事実なのだ。
それがなくなるだけで、もう少し管理職になろうと思う人が増えるのではないか?
それがひいては日本社会の活力の向上に繋がるのではないか?
そんな風に思ってしまう。
余計なことをたくさん言った。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
本文は結構な物言いで冷や冷やする部分が多々ありますが、割と感情が乗った文章でもあるので、そのままの状態で掲載することにしました。
というのも、本当に酷い人が多すぎるから。
もちろん、不機嫌になる理由、そのようなことがたくさんあることは僕にも理解できます。
でも、それを何の関係も他人にぶつけたところで何の意味があるのでしょうか?
不機嫌の連鎖によって、僕たちの社会はとても生きづらいものになっています。
ちょっとだけでもいいから、その流れを止めませんか?
それが僕からの提案です。
機嫌良くは無理でも、せめて悪さの度合いは減じていきましょう。