男の嫉妬

自分の未熟さだけが苦労した原因ではなかったのでは?

このブログは若くしてマネージャーに「なってしまった」人に向けての応援の意味を込めて書いている。

(他の企業ではそんなに若くもないのかもしれないけれど、僕が務めている会社においては)僕は若くしてマネージャーになってしまった。

そしてたくさんの苦労をした。

そこには自分の人間的な未熟さに起因するものが多分に含まれている。

その度に「なぜ自分がマネージャーなのか?」と苦悶することになった。

でもある程度の経験を重ねた今振り返ると、必ずしも自分の至らなさだけがその辛さの原因ではなかったのではないか、と思うようになった。

他にも要因があったのではないか、と思うようになった。

それが今回のテーマである「男の嫉妬」だ。

歳を重ねてからマネージャーになった方が楽

かつての自分がそうだったように、マネジメントにおいて「若さ」というものは取り扱いが厄介なシロモノだ。

ブログ内でも書いているように、マネジメントにおいて重要なのは人間の幅や懐の深さといった、「厚み」や「深み」だ。

もちろん若くとも人間的な厚みや深みがある人もいるし、歳を重ねても薄っぺらな人はたくさんいる。

でもそこまで見抜ける人はあまり多くない

そして一般的には「若さ」というのは軽んじられる傾向が強い。

多少の語弊があることを承知の上で言えば、同じマネージャー1年生が同じ発言をしたとしても、その人が25歳と35歳と45歳では、その受け止められ方は大きく異なる。

25歳が言うことより、45歳が言うことの方が、「丸まって(角が取れて)」浸透していく

もちろん、20年という人間的な経験の差異は当然ながらあるので、ある意味ではそれは仕方ないことでもある。

でも僕がここで言いたいのは、それは「本当に人間的な経験の差だけなのか?」ということだ。

そこには「嫉妬が含まれているのではないか?」ということだ。

デリケートな話題であるのは承知の上で、もう少し詳しく書いてみる。

自分が若くして出世できなかったという恨み

自分に自信のある本当のエリート層は別として、大抵の管理職の人達は若くして昇進している人に対する嫉妬心がある(と僕は思っている)。

それはある種無意識的なもので、直接本人に問いただしたとしても、「いやいや、そんなことは微塵も思っていないよ」とかわされるのがオチだ。

そしてこの無意識の嫉妬は、場面場面の小さな意地悪として顔を出してくる。

確かにそれは僕の至らなさも大きな原因ではあるのだろう。

でも、どうやってもそれだけでは説明がつかないようなことを僕はたくさん経験してきた。

「そんなの考えすぎだ」とか「被害妄想では?」という意見は至極真っ当だと思うし、僕も何度もそのように考えてやり過ごそうとしてきた。

しかし、だ。

そこには自分がそのように出世できなかったことに対するルサンチマンが確実に含まれている。

悪意が存在している。

僕はそう考えている。

その「やりづらさ」は君だけのせいではない

もう少し世渡り上手な性格であれば、そのハレーションも少なかったのかもしれないけれど、僕自身も今よりももっと尖っていたので、大きな反発を生むことになった。

それは大きな反省点ではある。

でも今の自分が過去の自分に声を掛けてあげるとするのであれば、「それはお前だけの責任ではないよ」とは言ってあげたいと思う。

「もちろんお前も非を認めなければならない点がある。大人にならなければならないところも大いにある。でも全部が全部お前のせいではないよ」と言ってあげたいと思う。

こういう話題は感情的な側面があるので、客観的に証明することがとても難しい。

でも、今回このテーマを書こうと思ったのは、僕と同じように辛い目に合っている人がいるとするのであれば、「君だけ(のせい)じゃないよ」ということを伝えたかったからだ。

言葉では説明しづらい「やりづらさ」は他の人からの嫉妬かもしれないよ、ということを伝えたかったからだ。

嫉妬の矛先

社内政治とか、足の引っ張り合いとかいうのはドラマの中だけで起こっている訳ではないし、実際に存在している。

まさか自分ごときにその矛先が向けられるとは思っていなかったけれど、今振り返ると、たぶんそれは嫉妬だったのだ。

僕は若くて生意気で、世間知らずで、傍若無人で、好き勝手やっているように見えるのだろう。

上司であっても能力のない奴には阿らないし、媚びないし、扱いづらい奴なのだろう。

それは承知している。

でもそれがなかったら、たぶん僕は僕でなくなってしまうし、マネージャーになった意味はないのだと思う。

大人になってもイジメはある

それは「改善しなくていい」とか「反省しなくていい」ということではない。

自分の至らなさに身悶えしながら、僕はそれでもこのような立ち振る舞いをすることでしか、成果を出すことができない。

それはある種の人達から見れば、とても面白くないのだろう。

それもわかっている。

でもだからといって、自分を向上させるのではなく、相手を蹴落とそうとすることに体力を使うのはどうなのかと僕は思っている。

結局イジメの構造というのは大人になっても変わらないのだ。

集団になって、異質なものを排除しようとする。

あらぬ疑いをかけられたり、変な噂を流されたり、そんなことばかりだ。

中学生じゃあるまいし。

本当にうんざりする。

失敗しろという大合唱の中で成果を出し続ける

だから、もしあなたが今周りのおじさんマネージャー達と上手くいっていないからといって、必要以上に落ち込まないで欲しい。

もちろん欠点を改善しようとすることは大事だけれど、必要以上に自分を責めないで欲しい。

僕は5年経って、どうやってもそういう人達とは分かり合えないということがわかったし、テキトーにあしらう術も身に付けることができるようになった。

そういう意味においては、僕もおじさんの仲間入りをして、人間的にも丸くなった。

でも、今だって、たくさんの嫌な目に合っている。

それは変わらない。

嫉妬の矛先はいつも僕の喉元を狙っている。

失敗しろという大合唱が聞こえてくる。

それでも僕は成果を出し続けている。

そういう下らない連中を尻目に、成果を出し続けている。

そしてほんの僅かではあるけれど、僕を支えてくれている上司や部下がいる。

少なくも1人ではない。

それはあなたも一緒であるはずだ。

それではまた。

いい仕事をしましょう。


あとがき

嫉妬に男も女もないとは思いますし、被害妄想に過ぎないと言われてしまえばそれまでなのですが、とにかく僕は苦労をしました。

妬み、嫉み、やっかみ、何でもいいのですが、この類のものは本当に根が深く、陰湿です。

それによって人間の本当に嫌な部分も見ることになりました。

でも一方で、そんな状況の中でも手を差し伸べてくれる人もいましたし、本当に信頼できる部下というのもわかりました。

それは今の僕にとって大きな財産となりました。

若い頃の苦労は買ってでもしろ、なんていうのは戯言だとは思いますが、今トンネルの中にいる人にとっては助けになる言葉かもしれません。

「若さ」という自分の至らなさも受け止めながら、それでも自分を責め過ぎないようにして欲しい、というのが僕の願いです。

もう少ししたら楽になります。

その時は酒でも飲みましょう。