何気ないやり取りが心に刺さっていたりする
一時的とはいえ部下であった人達へ
6年間もマネージャーをやっていると、部下の総数は結構な人数になる。
ここで言う部下の総数というのは、過去部下であった人・現在部下である人の累計のことを指す。
僕が務めている会社ではチームの人員構成は比較的流動的なので、決算途中において人が動く(異動する)のも珍しいことではない。
また、産休に入る人や、介護休暇に入る人、そこから復帰する人、退職する人、新しく職場に来る人、などなど、どんどん人が入れ替わっていっている中で、僕は仕事をしている。
結果として、一時的とはいえ、僕の部下であった人は相当数になるわけだ。
彼ら(彼女ら)にとっては、僕はある一時上司であっただけであるので、それがどのくらいの重要性を占めるのか、というのは正直僕にはわかりかねる(他にも上司はたくさんいる)。
でも、そんな中でも僕がマネージャーとして存在感を示すことができているのではないか、ということを自惚れ込みで書いていく。
参考になれば嬉しい。
結局は人間性
このブログには本当に色々なことを書いているけれど、マネージャーにとって大事なのは、人間性であると僕は思っている。
何だかんだあったとしても、この部分がしっかりとしていれば、マネージャーとしては長くやっていくことができる。
それは何も僕の人間性が優れているということを言いたいわけではない。
ただ、酷いものではないのではないか、と思うことはある。
僕は薄情な人間である。でも…
僕は成果というものを非常に重んじている。
そのように書くと、「非情だ」と言われることがある。
そして実際に僕は薄情な人間でありかつドライな人間でもある。
でも不思議なことに、僕は職場を離れたかつての部下達から連絡を貰うことが多いし、近況について相談を受けることもしばしばである。
それを自慢したいわけではない。
ただ、時折ふと不思議な気持ちになるのだ。
思い込みかもしれないけれど
別に僕は大層なことを彼ら(彼女ら)にしているわけではない。
特別目をかけて育てたり、何か配慮をしてあげたりした訳でもない。
それでも彼ら(彼女ら)の方は、たくさんのマネージャーの中で、僕を一段上に置いてくれているようである(いや、もしかしたらそれは僕の勘違いに過ぎないのかもしれない)。
とてもありがたいことだ。
でも、それがなぜなのかわからない、というのも事実である。
贔屓と公平性
僕は上記した成果と共に、公平性というものを重んじている。
誰かを特別に贔屓したり、優遇したりすることは、どちらかと言えば嫌悪に値する行為であるとすら思っている。
そういう意味では、僕以前のマネージャーから寵愛されていた部下にとっては、物足りなく思うこともあるようである。
僕は「個」よりも「チーム」を重要視するし、できるだけ好き嫌いなく、軽重をつけることなく、公平に接していたいと思うからだ。
相思相愛はよくある話
うまく表現できているかわからないけれど、寵愛していた部下から慕われるというのはよくある話であるように思う。
相思相愛というか、まあそうなりますよね、という感じである。
多くのマネージャーはたぶんこういう付き合い方をしていて、ある種の部下にはとても好かれるけれど、その他の部下にはそうでもない、という感じが一般的であるように見受けられる。
人間だし、好き嫌いはあるし、それは仕方のないことである。
それはもちろん僕にも当てはまる。
ただ、その「度合い」みたいなものが僕の方が薄いような気がしているのだ。
うまく伝わっているだろうか?
自信はないがもう少し続けてみる。
振り返って感謝されることが多い
僕は部下に対して体重を乗せることなく、淡々と接している。
等距離でドライな関係を保ったまま、仕事をしている。
極端なことを言えば、僕と部下はビジネス上の関係でしかなく、それ以上の関係になる必要はないとすら考えているくらいだ。
時に「サイコパス」であるとか「AI」だとか言われるのもそういう感じから来ているのだろう。
でも不思議なことに僕は部下から感謝されることが多い。
それも振り返って言われることが多い。
そんな時に狐につままれたみたいな気持ちに僕はなる。
何が刺さったのか、クリティカルであったのか、僕にはいつもわからないのだ。
何がそんなに?
職場での何気ない一言、ふざけている時の馬鹿話、そんな僕からしたら何でもないものを切り取って、彼らは大事にデータベースに保管しておいてくれている。
僕は甘いマネージャーではないし、成果にも厳しい方であると思う。
そして上記したように、慕われたいという想い自体がない。
「部下は駒である」とまでは流石に思わないけれど、ビジネスライクな関係で十分であるとは思っている。
そんな僕に過分に感謝されても戸惑うだけなのだ。
これからもきちんと仕事をします
中立性・公平性・私心のなさ、みたいなものが、時に人の心を動かすことがある。
僕はその度に背筋が伸びる想いがする。
僕の何気ないその一言が、部下にとって大きな影響を及ぼし得ることがある(良い面でも悪い面でも)。
だからと言って、狙った発言をする、というのも違うような気がしている。
そもそもの人間性を高めること。
僕自身が「いい人」であること。
そうなろうという志向性が大事であること。
そんなことを現在の部下やかつての部下に教えられているような気がする。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
部下との接し方・距離感に悩んでいるマネージャーは多いと思います。
僕もその1人です。
ただ、何年もマネージャーをやっている僕は、以前に比べ、そこに期待する度合いがだいぶ少なくなりました。
以前は密な関係性を作りたいと思っていたこともありましたが、今は全くそのように思っていません。
関係性というのは狙って構築できるものではない、というような達観した気持ちが今はあります。
僕にできることは、現在においてベストだと思われることを部下に話すことです。
その後の展開、広がり方は予期できないものです。
1つ1つ「いい仕事」をしていきましょう。