マネージャーの評価は去る時に現れる

在任中の評価と異動後の評価

マネジメントの出来というのは曖昧である、ということを何回かこのブログ内で書いてきた。

野球選手のスタッツのように、打率や本塁打数、盗塁数が出る訳じゃないし、仮にチームの業績が良かったとしても、それがそのマネージャーによるものなのか、メンバーによるものなのか、は分解することができないからである(まあ、野球の監督もそうかもしれないが…)。

でも、外形的にはそうだとしても、中にいるメンバーにはわかるのでは?

確かにそうかもしれない。

ただそこにいるメンバーにとっても、マネージャーは「評価者」である訳だから、在任中には表立って物申すこともできないし、ある種オブラートに包まれたものになることが多いのだ。

ただ、異動となると話は別だ。

今まで地下に隠されていたマグマが噴出する。

抱えていた不満が地表に現れる。

今日はそんな話をしていく。

マネージャーは皆に好かれていると思っている

「あなたはメンバーに評価されていると思いますか?」とマネージャーに聞くと、大半のマネージャーは「そうだ」と答えるだろう。

ただ、実態はそうではない。

多くのマネージャーは評価されていない(僕も含めて)。

それが現実である。

マネージャーとメンバーの関係性上、評価者と被評価者という関係上、メンバーはあなたに感じ良く振舞っているに過ぎない。

「いや、そんなことはない。オレはメンバーに好かれているぞ?」

そう言いたい気持ちはよくわかる。

でも、悲しいかなそうではないのだ。

合格点? 及第点? いやいや…

どんなに優秀で人間性に優れているマネージャーであっても、メンバーから満点を貰えることはないのが現実で、そうではない大半のマネージャーは赤点レベルであるのだ。

及第点ですらない。

赤点なのだ。

しつこいようだが、これは肝に銘じておいて損はない。

メンバーから惜しまれる人は会社からは評価されない人が多い

僕は数々のマネージャーが、異動後これ以上ないくらいの言葉で罵られている場面を目の当たりにしてきた。

在任期間中はそんな素振りを見せていなかった人に限ってそのように振舞うので、ガチで人間不信になるくらいである。

そのくらいメンバーというのはマネージャーのことを憎んでいる。

そう、憎んでいるのだ。

もちろん惜しまれる人も(数少ないが)いる。

でも、その人はどちらかというと組織内において評価されていることは少ない

これが組織の上層部にまともな人が少ない要因であるような気もする。

人間性が優れているマネージャー、メンバーから惜しまれるようなマネージャーでは偉くなれないのだ。

現状の組織において、それを成し遂げるのは非常な困難を伴う。

だからこそ、多くのマネージャーは組織の言う通りに振舞って、メンバーから蔑まされ続けるのだろう。

メンバーから嫌われるのは仕方ないことなのか?

そういう意味では、マネージャーがメンバーから嫌われるのはやむを得ないことなのだろうとも思う。

でも、果たしてそれでいいのだろうか?

あなたはそういうマネージャーになりたいのだろうか?

それが今日の話である。

異動の発表で喜ばれるような人にだけはなりたくない

ここからは価値観の問題になる。

僕はメンバーから評価されるマネージャーでありたいと思う。

もちろん全てのメンバーから手放しで好かれるということは起こりえない。

でも、自分がいなくなった後に、少しは惜しまれるような仕事はしたいとは思っている。

異動の発表があった後に、ガッツポーズが起きるような事態は避けたいと思っている。

たとえ組織内上昇が難しくなったとしても。

サーバントリーダーシップと管理型マネジメント

マネージャーの仕事は今端境期にある。

「サーバントリーダーシップ」という言葉を持ち出すまでもなく、組織内においてマネージャーが為すべきは、メンバーが仕事をし易い環境を構築することである。

ただ、現実はまだそこまで行っていない。

まだまだ旧来型の「管理型マネジメント」が支配的なのである。

そこにいるメンバーの価値観が変わりつつあるのに、組織はそのままであり、マネジメントのスタイルもそのままである。

だから、マネージャーは嫌われるのだ。

目に見える範囲、手の届く範囲で

管理職から支援職へ」という文章の中でも書いたように、マネジメントに関する考え方は大きく変わってきている。

その中で、我々一個人にできることは何なのだろうか?

それを是非とも考えて頂きたいと思う。

僕は大きな流れの中で、少なくとも一石は投じたいと思って今仕事をしている。

もちろんそんな小石など、流されて終わるだけなのかもしれない。

ぽちゃん、という音すら奔流の中にかき消されて聞こえないのかもしれない。

それでも、である。

少なくとも目に見える範囲で、手の届く範囲で、僕は自分が信じるマネジメントをやりたいと思っている。

おかしいことが当たり前になるように

それは何もメンバーに迎合しろ、ということではない。

単純に自分がいなくなる時に、拍手喝采が起きる事態だけは避けたいのだ。

それはあまりにも寂しすぎるだろう?

誰もが表面的には「いなくなって寂しいです」ということを口にする。

でも、現実にはそんなことはない。

マネージャーというのは嫌われる職務であるからである。

みんなマネージャーのことを嫌っている。

でも、そういう組織はやっぱりおかしいのだと僕は思っている。

それがおかしいというのが当たり前になるように、僕はこれからも孤独に戦っていくつもりである。

ご賛同頂けたらありがたい。

それではまた。

いい仕事をしましょう。


あとがき

多くのマネージャーが360度評価にショックを受けるのは、「自分は好かれているはずだ」という思い込みによるものです。

でも、「属人性は別として、そもそもが嫌われる仕事である」と考えておけば、そんなに思い悩む必要はなくなるはずです。

むしろ、良い評価だった時に、適切に喜ぶことができるようになります。

僕にはたくさんの嫌いな(嫌いだった)マネージャーがいます。

せめてそうならないように仕事をしたいと思っています。

ご賛同頂けたら幸いです。