恥も外聞も

ごめんなさいと言える力

マネジメントの仕事をしてもう7年になる。

僕は特別優れたマネージャーではないけれど、それでも何とか続けられているのは自分が素直に頭を下げられる人間であるからではないか、と最近思っている。

後輩マネージャーの指導や相談相手といった仕事が増えていくにつれ、「ああ、この人はマネージャーとしてやっていける」「この人はそうじゃない」と感じることがあり、それは何なのかと考えた時に、この「素直さ」というのは結構重要な要素なのではないかと思ったので今回はそれを文章にしているわけだ。

ここで言う素直さというのは、「ごめんなさい」と言える力である。

恥も外聞もなく、頭を下げられる力である。

今日はそんなことを書いていく。

人間性を分割すると…

マネージャーに必要なのは「結局は人間性」である。

その気持ちはこのブログを始めた頃とあまり変わっていない。

ただ、その「人間性」というものをもっと小さな単位に分割した時に、重要なパーツとして出てくるのが、この「ごめんなさいと言える力」であるような気がしている。

頭を下げることは悪いことなのか

これは自分が官僚的な組織の中で働いているから余計にそう感じるのかもしれない。

僕が働いている会社では、頭を下げることは悪いことだと思われている。

というか、頭を下げることは悪いことだという認識すら持たないまま、無意識に頭を下げることを忌避している、という表現の方が正確だろう。

僕はこれを「エセエリート意識」だと思っている。

「自分はエリートであり、間違いなど起こすはずがない」

その意識すらない状態で、そのように振舞う人達。

僕はそこに嫌気がさしている。

自覚のあるなし

彼ら(彼女ら)が有能であることは事実だろう。

ただ、そこには深みがないのだ。

いや、僕に深みがあるということを言いたい訳ではない。

ただ、少なくとも自分には深みがないという自覚だけは持っているし、持っていたいと思うのである。

その恥の意識が自己嫌悪と自己規律に繋がり、それらが改善への意欲を生む。

知性とは?

僕の好きな言葉に置き換えるなら、それが「志向性」を生むのだ。

現状の至らない自分を認め、それを開示し、次へ向かうこと。

ソクラテスなら「無知の知」と言うだろうし、ポパーなら「真の無知とは、知識の欠如ではない。学習の拒絶である」と言うだろう。

僕はそのような態度を知性と呼びたいのだ。

失敗は学びの燃料になる

エセエリートたちはスタティック(static)であると僕は思っている。

そこには時間軸がない

だから安定(stable)している。

ただそこには学びがない。

現代に必要なのは「学び」である。

そして学ぶためには、その材料(燃料)が必要となる。

それが失敗であり、それを認められる力である。

マネージャーは「上がり」じゃない

上手く言えないのだけれど、マネージャーになったら「上がり」だと思っている人がいる。

「オレは偉くなった」と勘違いをして、学びを止める人がいる。

それは間違いだ。

マネージャーになってからがスタートである。

小さな自分と向き合うこと

マネージャーという仕事は、生身の自分を常に突きつけられる仕事である。

自分の弱さと常に向き合う仕事である。

みみっちいプライドや、虚栄心、狡さ、卑怯さ、器の小ささ、それらが全て自分に向かってくる。

そこから目をそらさずに、対峙できるか。

もっと言うと、それを外部に開示できるか。

それがマネージャーという仕事の難しい所であり、面白い所である。

開示できるだけでだいぶ優位

「結局は人間性」というブログを書いた頃の自分と、今の自分が違う点を挙げるとするなら、「必ずしも人間性を向上させられなくても、卑小な自分を開示できるだけで合格点である」ということがわかってきたということかもしれない。

多くのマネージャーは、人間性が優れているわけではない。

そして先ほども書いたようにスタティックである。

もうこの時点で僕にはアドバンテージがある。

僕はRPGで言うなら、初期値は低いけれど、成長率が高いユニットみたいなものなのだ、きっと。

真のスタートは弱さを開示しから

僕は今でも自分がまともな人間であるとは思わないし、弱さを克服できているとも思えない。

ただその弱い自分を認め、開示できるようになったのは大きな成長点であると思う。

かつての僕はミスを犯した時、そこから目を背けていた。

それでも課長という立場があったことで、部下達は別に僕を責めることもなく、ただ淡々と日々を過ごすことができた。

でも、もやもやした気持ちは晴れないままであった。

そのもやもやに耐えきれなくなった僕は、部下の前でその弱さを開示し、謝った。

彼ら(彼女ら)は暖かく僕を許してくれた。

そこからが僕のマネージャーとしての本当のスタートだったと思う。

小さいけれど大きな転換点

僕は部下を信頼し、恥も外聞もなく、全てを晒すことにした。

性善説で彼ら(彼女ら)と向き合い、格好つけることをやめた。

小さなことだ。

でも僕には大きな転換点だったのだ。

少年マンガみたいな話

今の僕には弱さを晒せる強さがある。

少年マンガみたいな話だけれど、弱さを認められた時、人はきっと強くなるのだ。

僕がしょうもない人間であることは変わらない。

でも少なくとも僕はそれを認めることができるという自信ができたのだ。

それができれば、マネジメントという仕事を続けることはそんなに難しいことではない。

それではまた。

いい仕事をしましょう。


あとがき

頭を下げることができない人と会うたび、残念な気持ちになります。

それはその人の人生なので、別にどうでもいいと言えばどうでもいいのですが、何というか仕事をしていてつまらなくはないのだろうか、と思ってしまうのです。

少なくともマネジメントという仕事においては、頭を下げられることは大きなアドバンテージとなります。

みんなそれを減点だと思っているのですが、僕からしたら大きな加点です。

価値観の問題ではありますが、マネジメントをやる上ではできた方が、仕事はカラフルになります。

過ちを認め、開示し、アップデートしていきましょう。