カウンセリング・マネジメント
問題を解決するのではなく、話を聞くだけでも成果を向上させることはできる
マネジメントとはカウンセリングである。
そう言ったら言い過ぎだろうか。
必ずしもそうではないのではないか。
僕はそう思っている。
営業マンの時にも思っていたことだけれど、人は多くの悩みを抱えている。
その話をするだけで、たとえ解決に結びつかなかったとしても楽になったりする。
それはマネジメントにおいても同様である。
直接的にその問題にアプローチするのではなく、聞くともなく聞く、話すともなく話す、というような、周辺の問題へアプローチすることができれば、チームの成果を向上させることは可能なのだ。
何を言っているかよくわからないと思うけれど、今日はそんなことを書いていく。
お悩み相談室
僕の1on1は時に「お悩み相談室」みたいになる。
仕事のことはもちろん、家庭のこと、健康のこと、その他諸々の話、がそこで繰り広げられることがある。
そしてその時は長時間になることが多い。
今のチームには年配の部下が多いので、この種の話が中心になるというのは傾向としてあるのかもしれない。
人はそれぞれ悩みを抱えている。
そして幸か不幸か、その悩みは誰にでも打ち明けられる訳ではない。
マネージャーが適任だとは流石に思わないけれど、それなりの関係性ができていると、この種の話がふとメンバーから漏れることがある。
もちろん、僕はその分野の門外漢である。
素人なので、特に有益なことが言えるわけではない。
ただ、一般論というか、常識に照らし合わせて、それなりのことを言うことはできる。
そしてそのそれなりのことが、思いのほか解決になったりもするのだ。
占い師ウエノ
一時期、僕はメンバーたちから「占い師のようだ」と言われたことがある。
本人(もしくは家族)しか知りえないようなことを、僕がズバズバと当てたことから、このような噂が流れたのだ(僕は別室で1対1で話をするのだが、あるメンバーが「私も占って!」と言ってきたので、何のことかと思った記憶がある)。
これは営業職の人であれば何となくご理解頂けると思うのだけれど、話し方や歩き方、言葉の選び方などから、その人となりをある程度想像することは可能である。
そしてそのような性格や思考形態を持った人が、どのような行動をしがちであるか、というのは(統計学的とは言わないまでも)、ある程度推察できる。
それを言うだけ、というのが僕のマジックの種明かしである。
そんなに大それたことではない。
でも、このような踏み込んだ話というのがマネジメントにおいて有効な場合がある。
父親(母親)としての顔
仕事というのは人生の一部に過ぎない。
それは裏返せば、仕事以外の顔の方が、多くの人にとっては人生の大部分を占めるということを意味する。
その中でも、父親(母親)である、ということはそれなりの体積(面積?)を占める。
繰り返すが、僕は専門家ではない。
でも、悩みを聞くことはできる。
「答え」と「応え」
それは以前にも書いたかもしれないけれど、こちらか「仕掛ける」ものではないのだ。
何というか、ポロっと言ってしまう、ふと漏れてしまう、そういう種類のものなのである。
それを聞くたびに、仕事におけるパフォーマンスが、仕事以外の要因によって大きく左右されるということを実感する(若手であれば恋愛問題が、中堅以上であれば家族の問題が、特に大きなファクターとなる場合が多い)。
僕は赤の他人ではあるが、それなりに信用はあるようで、その種のことを話されることがある。
無責任なことは言えないけれど、たとえばこういうアプローチ方法はどうなのか、ということを言うことはできる。
そうやって雑談めいた話を積み上げていく。
時にそれが刺さったりもする。
僕は営業担当時代からこのような雑談が比較的得意で、色々なお客様から「ウエノ君、今から時間ある?」と呼ばれることが多かった。
そこで話すことは直接的に僕の仕事とは関係ないことが殆どであったけれど、それぞれの分野の相談事に、それなりの精度で応えられることが重宝されていた要因であったと自分では思っている。
そう、人は「答え」を求めている訳ではなく、「応え」を求めているのだ。
応答によって、相手の頭を整理していく
僕はこの「応答の能力」が自分の強みであると思っている。
僕が応えることによって、その相手が答えに近づいていく。
そのような手助けをすることができる。
それはマネジメントにおいても同様である。
別に何かスペシャルなものを部下も求めている訳ではない。
応答が欲しいのだ。
そうやって自分の頭の中を整理していく。
カウンセリングの効果
今日のテーマに即して言うなら、カウンセリングというのはその悩みを解決するのではなく(もちろんそれができれば言うことはないが)、外部に悩みを出す行為、それ自体に治癒の効果があるのだと僕は思っている。
そして「ああそれは大変でしたね」という「応え」が人は欲しいのである。
僕はマネジメントという仕事をやりながら、時に人生の大変さ(の一部)みたいなものを感じることがある。
人生は大変だ。
その重荷を背負うことはできないけれど、少なくとも理解したり、共感したりすることはできる。
そのような何でもない日々の積み重ねが、実は成果の源泉だったりもする。
意図的に(狙って)それをやる訳ではないけれど、何らかの縁で僕と上司部下という関係になった人たちが、仕事はもちろん、それ以外でも少しは楽しく生活することができるようになれば、それはとても嬉しいことである。
それではまた。
いい仕事をしましょう。
あとがき
本文を読み直して僕が思ったのは「タイタンの妖女」という小説についてです。
この小説の中にハーモニウムという生物が出てくるのですが、その生物は2つのメッセージしか送受信できません。
その第1のメッセージは、「僕はここにいる」。
そして第2のメッセージは、「君がそこにいてよかった」
というものです(そしてそれぞれは、もう1つのメッセージに対する自動応答です)。
僕が人生というものにおいて大事だと思うのは、本当にこれだけです。
心理的安全性に関する議論は手垢がついてウンザリしてしまう時もあるのですが、そんな時に僕はこの美しい生物について思い返すようにしています。
マネジメントにおいて大事なのは、そこにいるメンバーがそこにいることを承認する(できれば祝福する)ことです。
根気よく向き合っていきましょう。